田沼広之
(神奈川・湘南学園高 ― 日体大 ― リコー)
だれか、いい人いませんか? そう、ギョウザ耳の人。
秩父宮ラグビー場。帝京大の試合のあと、既にこのシリーズに登場してもらったスクラム命の相馬朋和さん(帝京大FWコーチ)にそう聞けば、ちょっと思案した。
翌日の日程をみて、ポンと右こぶしで左の手のひらをたたいた。
「田沼さんはどうでしょ」
田沼さんとは、リコーの田沼広之である。かつての日本代表のロック。4年前に現役を引退し、ただいま、リコーの企業スポーツ推進センターに所属し、ラグビーの広報&普及を担当している。
「でもロックでしょ。ギョウザ耳ですか」
「大丈夫です。一緒にやっているとき、白いワッパを耳に付けていましたから」
ということで、日が替わったリコー×トヨタ自動車のあと、41歳の田沼さんを探した。いない。ラグビー部員に聞けば、ロッカー室に向かったという。「話を聞かせてください」。そう伝言を部員に渡せば、黒色のリコーポロシャツ姿の193センチが駆け足で表に出てきた。息がはずんでいる。
藪から棒に説明する。相馬さんのご指名です、と。子どもたちから愛されるタヌーこと、田沼さんは顔をくしゃくしゃにした。
「うれしいですね」
ラグビー仲間っていいものだ。とくに一緒に闘ったチームメイトは別格。
「一緒に非常に努力した仲なので。いつも声を掛け合って、スクラムを組んでいました。(相馬さんは)気持ちがつよい。簡単に折れないやつです」
で、本題。耳を少しばかり、見せてください、と聞けば、「はい」と明るく返事をしながら、右耳を突きだしてくれた。
たしかに、ギョウザ耳。どうして?
「平尾ジャパンの時のことです。これ、めちゃめちゃオモシロいですよ」
田沼さんは神奈川県出身。湘南学園高校から日本体育大学に進学し、リコーに入社した。1996年、日本代表入りし、韓国戦で初キャップを獲得した。
「ぼく、そんなにタックルができなかったんです。背が高くて細身だったので、相手の上をつかむようなタックルでした。当時、FWコーチが土田さん(雅人=現サントリーフーズ社長)で。監督の平尾さん(誠二)と土田さんから、“オマエはタックルができるようにならないとダメだ”と言われて」
忘れもしない、1997年夏の長野・菅平の日本代表合宿。ひとりだけのタックル居残り練習が始まった。練習台が、元オールブラックスの巨漢ナンバー8、ジェイミー・ジョセフだった。ジョセフがまっすぐ走ってくるところを、田沼さんがタックルで倒すのだ。丸太ん棒のような太ももに飛び込む。
「いまでいう個人練習ですよ。書き方が難しいでしょうけど、完全な“しごき”ですよ、あれ。ははは。めちゃくちゃあつい全体練習のあと、ひとりでタックル練習ですから。ジェイミーも快く相手をしてくれた。メチャクチャでかくて…。彼にタックルができるようになれば、だれにでもできるようになるって」
そりゃそうだ。何事にも一生懸命を心掛ける田沼さんはふらふらになりながらも、タックルに入り続けた。何本目だったろう。右耳につよい衝撃をおぼえた。
「“アレ”って思ったんです。ジェイミーのひざが耳に入って、つぶれました。その瞬間、鼓膜が破れた感じでした。パンっと」
痛みがあっても、続けるしかなかった。桜のジャージを着るためである。タックルに入るたび、右耳が衝撃をおぼえる。じんじんとしびれてきた。
「ちょっと耳が重たいなと思ったら、もう耳がぼこって完全にはれていたのです」
夜、チームドクターにたまった血を抜いてもらった。腫れた耳を押さえて固めて、またも翌日、同じような居残りのタックル練習に挑む。毎日、血がたまる。毎日、抜く。タックル。たまる。抜く。その繰り返しだった。
ギョウザ耳になってから、タックルがよくなった。きちんと右耳で相手のひざ上にあて、強くバインドするようになった。
「この耳に定着するまで、すごく痛かったんです。ただ、ぼくは耳の痛みを感じるたび、ああ、いいタックルができていると実感するようになったんです。痛みを感じると、パックもよく、いいタックルができている。パックが緩いと、耳がもっと痛くなる。耳を相手にピチっとあてるようになりました」
右耳はふくれた。固まると、裂傷ができる。これを防ぐため、白色のテーピングテープを頭にぐるぐる巻くようになった。田沼さんとバンダナのような白いテープ。やがてトレードマークとなった。
こんなことがあった。田沼さんが7人制ラグビーの日本代表遠征に出た時だ。いつものごとく頭に白色のテーピングテープを巻いていたら、海外の選手から「なぜ、テープを巻いているのか?」と聞かれた。ギョウザ耳を守るためだ、と伝えると、「すごくいい考えだな」と感心された。
田沼さんは2019年ラグビーワールドカップ日本大会アンバサダーを務めている。子どもにタグラグビーやラグビーを指導する時がある。子どもから、「耳、どうしたの?」と聞かれる時がある。
「“おにいちゃん、タックルの練習をして、こうなったんだよ”とちゃんと答えます。子ども相手のイベントでは、一種のコミュニケーションツールになっていますね。ギョウザ耳ってラグビー選手の象徴っていうのは変ですけど、まあ、ラグビーをやっていた証明みたいなものですね」
田沼さんはジャパンの桜のジャージを着るため、痛みを我慢しながらタックルをし続けた。前向きな姿勢と努力、プライド…。そんなことを考えると、ギョウザ耳がいとおしく見えてくるのだった。
2014年10月31日掲載
※ 『ギョウザ耳列伝』は隔週金曜日更新
【筆者プロフィール】
松瀬 学(まつせ まなぶ)
ノンフィクションライター。1960年生まれ。福岡県立修猷館高校、早稲田大学のラグビー部で活躍。早大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク支局に勤務。2002年に同社退社後、ノンフィクションライターに転身。人物モノ、五輪モノを得意とする。『汚れた金メダル 中国ドーピング疑惑を追う』(文藝春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。著書に『日本を想い、イラクを翔けた ラガー外交官・奥克彦の生涯 』(新潮社)、『ラグビーガールズ 楕円球に恋して』(小学館)、『負げねっすよ、釜石 鉄と魚とラグビーの街の復興ドキュメント』(光文社)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)など多数。