ラグビーリパブリック

ギョウザ耳列伝 vol.6 瀧澤 直

2014.10.17
ギョウザ耳素人のタッキーが初めて洗濯バサミを買った理由。

瀧澤 直
(愛知・千種高 ― 早大 ― NEC)

 迷惑だろうなあ。
 そう思いながら、試合後の記者会見を終えたばかりのタッキーに近づいていく。女性フォトグラファーが恐る恐る声をかける。「耳を。耳を、ちょっと見せてください」と。
 タッキーは右手で、汗でべたつく天然パーマの髪の毛をかき上げる。「耳、汚くないですか?」と言いながら。
 「綺麗ですよ」
 「ちゃんとギョウザになっていますか?」
 「大丈夫です」
 通路に3人の笑い声とシャッター音がこだまする。タッキーこと瀧澤直は「いいやつ」なのである。

 トップリーグのNECの新主将。パナソニックに敗れて、セカンドステージの上位グループ進出が絶望となった。その試合直後というのに嫌な顔ひとつせず、「ギョウザ耳」の取材に応じてくれた。
 話し込んでいると、NECのチームメイトが通りすがりに、「あっ。耳ですか」と声をかけてきた。イタズラがばれた子どものように照れ笑いを浮かべ、こちらは「はい」と答える。チームメイトはうれしそうに大声で叫んだ。通路にひびく。
 「耳列伝、次はタッキーさんだぁ」

 チームメイトやファンから愛されるタッキーはずっと、ヘッドキャップをかぶってプレーしていた。早大時代は黒いヘッドキャップ。「おかあさんに“ヘッドキャップとマウスピースはしないといけない”と言われていたからです」と真顔で説明する。
 両耳ともカタチは綺麗だった。だが、自分の個性を出すため、髪の毛を伸ばし始めた。癖のある天然パーマの髪の毛がごわごわ膨らんでいく。社会人2年目のときだった。
 「もともと頭がでかいのに、髪の毛まで伸ばし始めたら、入るヘッドキャップがなくなってしまったんです」
 こちらがつい吹き出し、「ワルイ、ワルイ」と謝れば、タッキーは笑い飛ばした。
 「いえいえ、ここは笑うところです」

 3年前の11月。サントリーとの練習試合中、ヘッドキャップが何度も外れた。サントリーのスタッフに言われた。「邪魔だろう。そんなに何回も外れるなら、もうヘッドキャップをするなよ」って。
 納得。そりゃそうだ。それでタッキーはヘッドキャップを頭に付けないことにした。たしかに痛くない。いわば、ごわごわの頭の毛がヘッドキャップみたいなものだった。タッキーが笑って振り返る。
 「髪の毛のクッション性が高いので、耳が守られていたのです」

 だが、しかし…。そのあと、タッキーは頭の両サイドを刈り上げる「ツーブロック」という流行りのヘアスタイルをやってみた。両耳の周辺サイドがスースーして心地よかった。そのままパナソニックとの公式戦に出場した。トイメンが名手・相馬朋和だった。
 ファーストスクラムでガツンと組んだ瞬間、耳もとに電流が走った。痛みというか、ジンジンと熱を感じはじめた。
 「最初のスクラムの一撃で耳が湧いてしまった。刈り上げたから、耳が衝撃を直接受けて、(右耳が)湧いちゃったんだと思います。初めてだったんで、これが噂のギョウザ耳かと思いました」
 病院にいって、耳にたまった血を抜いてもらった。湧いては抜いて、抜いては固め、を続けた。

 ギョウザ耳は、皮下にスペースがあると血がたまりやすい。友に洗濯バサミが効果的と教えられ、生まれて初めて洗濯バサミを購入した。ピンク色の洗濯バサミだった。自宅にいる時は洗濯バサミで右耳をはさんでいた。
 タッキーは、ゆがんだ右耳の上部のミゾのあたりを「ここです」と右手でさすった。
 「洗濯バサミの跡が残っているんです。痛いので、ちょっとバネをゆるめて使いました。湧いては固めを1か月間繰り返すと、今の耳の形になりました」

 タッキーは全力プレーを心掛けている。いつも、からだの奥から天然の活力を発散している。スクラムを組んで、走って、タックルして。ボールをもらって、突進して。
 左耳はフツーである。右耳がギョウザ耳。「じつは」と打ち明ける。
 「プロップとして、いやラガーマンとして、ギョウザ耳になっていないと、スクラムとか、タックルとか、ダメなんじゃないかと劣等感を持っていたのです」
 でも、いまは違う。早大の理工学部卒業の28歳。いちどリクルートに入社したが、4か月後、ラグビーを究めるため、NECに入社し直した。
 どうせ一度の人生だから、後悔だけはしたくない。「毎日、自分の残りの人生の最初の一日という気持ちで生きています」という。

 昨季はトップリーグにフル出場した。ことし3月からニュージーランドのカンタベリー地方『クルセイダーズ』に3か月間、ラグビー留学した。主将として、チームの先頭に立つ。
 セカントステージでは下位グループに回ることになったが、そこでも目いっぱい、プレーする。当たり前だ。
 「まずは1勝。目の前の試合に勝っていく。やっぱり、見ている人に感動してもらいたい。“ラグビーっていいな”“次のNECの試合もみたいな”“秩父宮に行ってみたいな”って思ってもらいたいのです」

 ギョウザ耳の主将はいたって謙虚である。「原稿、謙遜した感じでお願いします」と小さな声で言うのだ。
 「だって、ギョウザ耳シロウトなので。まだ耳が湧いてから3年くらい。ギョウザ耳に関しては若輩者です。ギョウザ耳のプロの人たちは、1回、2回となるのでしょうが、ぼくなんてまだまだ…。やっとステージに立てたところですから」
 天然パーマの髪の下にはギョウザ耳。甘そうで辛いラグビー人生。好漢タッキーは自身の境遇に最善を尽くすのだ。

(文:松瀬学/撮影:松本かおり)
2014年10月17日掲載
※ 『ギョウザ耳列伝』は隔週金曜日更新

【筆者プロフィール】
松瀬 学(まつせ まなぶ)
ノンフィクションライター。1960年生まれ。福岡県立修猷館高校、早稲田大学のラグビー部で活躍。早大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク支局に勤務。2002年に同社退社後、ノンフィクションライターに転身。人物モノ、五輪モノを得意とする。『汚れた金メダル 中国ドーピング疑惑を追う』(文藝春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。著書に『日本を想い、イラクを翔けた ラガー外交官・奥克彦の生涯 』(新潮社)、『ラグビーガールズ 楕円球に恋して』(小学館)、『負げねっすよ、釜石 鉄と魚とラグビーの街の復興ドキュメント』(光文社)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)など多数。

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