ラグビーリパブリック

ギョウザ耳列伝 vol.5 桑水流裕策

2014.10.03
ミスター・セブンズが理科室で泣いた日。「苦あれば楽あり」。目標はまず、五輪出場。

桑水流裕策
(鹿児島工業高 ― 福岡大 ― コカ・コーラウエスト)

 仁川アジア大会で輝いた。
 7人制ラグビー(セブンズ)で、男子日本代表は金メダルを手にした。素朴な疑問。セブンズの日本代表にも、ギョウザ耳の選手はいるのだろうか。
 じつは大会前の代表合宿で探した。いろんな選手の耳をチェックする。おっ。いました。「ミスター・セブンズ」の桑水流裕策は、それはもう、免許皆伝付きのギョウザ耳の持ち主だった。
 練習後、おそるおそる、申し訳なさそうに近づけば、桑水流はニコッと笑って、口を動かした。
 「耳ですか?」

 いいオトコである。やはり九州男児はいい。鹿児島出身の好漢は、いつでも、どんな時でも、少しもイヤな顔を見せず、どんな取材にも応じてくれるのである。しかも、自ら「耳ですか」ときたのである。話が早い。
 「チームメイトから、そろそろ、オマエの番じゃないか、と言われていました。ははは。ありがたいことです」

 では、時間がないので、さっそく、耳ストーリーを聞く。見れば、両耳とも立派なギョウザ耳ですが。なぜ?
 「最初は右耳でした。高校2年生のとき、ナマタックルをずっとやっていました。すると、耳が湧いてきたんです。ワッカをつくりました」
 ワッカとは、耳への衝撃をやわらげる防御壁、耳パットみたいなものである。当時、九州では、長いストッキング・ソックスの足首から下を切って、くるくると巻いて、テープで固めたものだ。そのワッカを右耳に付けた。
 「練習中、右で湧いて、血を抜きに、病院に何回も行きました」

 でも練習は休まなかった。授業を休んで病院に行っても、放課後のラグビー部の練習には参加した。3年生がコワかったからである。人間相手のナマタックル練習は続く。やがて左耳も血がたまり、湧いてしまった。
 「練習を休むなんて、できない時代でした。耳は痛いけれど、やるしかなかったんです。ええ、ものすごく、痛かったですね」
 突然、桑水流は不思議な顔をつくった。何を思い出したのか、泣き笑いのように顔をゆがめたのである。「泣いたんです」。消え入るような声でぽつりと漏らした。え?
 「1回、泣いたことがあるんです。最後の授業が終わって、理科室をひとりでそうじしている時でした。このそうじが終わると、ラグビーの練習がはじまる。また、あのナマタックルだ、また痛い思いをしないといけない、そう思うと涙が勝手に出てきたのです。情けない話ですが…」
 鹿児島の高校時代の秋のとある日。日本のセブンズを支えるオトコが、耳の痛みにおびえ、ガイコツの模型のある理科室で泣いたのである。いい、いや、切ない思い出だなあ。
 でも、勇気を奮い起こし、グラウンドにでて、耳の痛みを我慢し、ナマタックルを繰り返した。「ウォ〜」と大声を発しながら。我慢する力がついた。桑水流は高校時代、練習は一日も休まなかった。

 写真を撮ろうとすると、「左耳のほうが広がっています」と横を向いた。
 「こっち(左耳)のほうが、湧いているとき、タックルして、ぼこってつぶれたんです。はっはっは」
 唐突ながら、ギョウザ耳で得したことありますか? と聞く。しばし考え、優しき桑水流は「得というか、みんなにこれでいじってもらえます」と言うのだった。
 「チームメイトから、“ツルさん、このぎょうざ、いつ食べるんですか”って。まあ、コミュニケーションツールですね」
 ひどい後輩だな。オモシロいけど。ギョウザ耳ってラグビー選手にとって勲章みたいなものですか、と聞けば、笑って「いや、いや」と即座に否定した。
 「高校のとき、父にも言われました。“勲章みたいなものだな”って。こんな痛い勲章ならいらないって思っていました」

 いずれにしろ、ギョウザ耳は、チームのためにからだを張ってきた証みたいなものだろう。空中戦のスペシャリストの28歳。福岡大2年生の時にセブンズ日本代表に抜てきされてから、もう10年も経つ。
 セブンズの国際大会出場数では前人未到、通算30大会を突破している。モットーが『楽あれば苦あり、苦あれば楽あり』である。まずは目標が2016年リオデジャネイロ五輪出場である。
 苦あれば楽あり。高校時代に経験した痛みに比べれば、あとは楽しいことばかりである。そうでしょ、と聞く。ギョウザ耳の端から、汗がしたたり落ちる。
 「そうですよね。きついことしたら、絶対、楽しいことじゃないけれど、自分にとっていいことが返ってくる。そう思うと、やる気がでますよね」
 オリンピックまであと、2年である。ギョウザ耳のストーリーを聞けば、つい応援したくなるではないか。

(文:松瀬 学)
2014年10月3日掲載

※ 『ギョウザ耳列伝』は隔週金曜日更新

【筆者プロフィール】
松瀬 学(まつせ まなぶ)
ノンフィクションライター。1960年生まれ。福岡県立修猷館高校、早稲田大学のラグビー部で活躍。早大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク支局に勤務。2002年に同社退社後、ノンフィクションライターに転身。人物モノ、五輪モノを得意とする。『汚れた金メダル 中国ドーピング疑惑を追う』(文藝春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。著書に『日本を想い、イラクを翔けた ラガー外交官・奥克彦の生涯 』(新潮社)、『ラグビーガールズ 楕円球に恋して』(小学館)、『負げねっすよ、釜石 鉄と魚とラグビーの街の復興ドキュメント』(光文社)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)など多数。

(プレー写真:2014アジア大会より/撮影:長岡洋幸)
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