稲垣啓太
(新潟工業高 ― 関東学院大 ― パナソニック)
プロップは大概、ハードボイルド的な生き方を好む。シブいのだ。おおきなガタイにおおきな顔。「モットーは?」と聞けば、右耳が二重三重につぶれている大型プロップの稲垣啓太はふっとわらった。
「モットーというか、座右の銘というか…。“強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない”っていうフレーズがありますよね。あれは好きなコトバです」
おっと、そうきたか。それって我が愛する作家レイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド小説の中で、探偵のフィリップ・マロウが口にする名セリフじゃないの。
そのコトバの象徴が、ギョウザ耳なのである。強くなければ生きていけない。人生、逃げたら負けなのだ。スクラムでもしかり、耳が痛くても、コワモテのトイメンでも、稲垣は絶対、逃げなかった。
「耳がつぶれようが、ひんまがろうが、スクラムを組むしかなかったんです。ぼくはもう、痛いからよけるというのは大嫌いなんです。自分の中の信念です。逃げたら、スクラムで負けるだけでなく、ちょっと人間としても信用されないだろうと思います」
どれどれ、と立派な右のギョウザ耳を拝ませてもらう。ラグビーを始めた中学3年から、プロップだった。新潟工業高を経て、関東学院大に進学した。少しギョウザ化していたのだが、大学3年の長野・菅平の夏合宿、筑波大との試合でひどくなった。雨の試合だった。
「雨でグラウンドがぐちゃぐちゃで、砂が耳にばーっとついたんです。それで、耳がすれて腫れ始めました」
その年のシーズンに突入する。痛みを我慢して激しいプレーを繰り返すものだから、試合の度、右耳に血がたまった。
「毎週、試合が続いて、血がたまったり、抜いたり、を繰り返したんです。もう、きりがないんです。別に耳のカタチがどうのこうのは気にしてなかったんですが…。ええ、ヘッドキャップはかぶりませんでした。耳が腫れると、キャップを付けるほうが痛いんです。だから、白いテープだけ巻いていました。そしてクリスマスの早稲田戦のことです」
2011年12月25日の全国大学選手権の2回戦(秩父宮)。関東学院大は早大を28−26で下した。白熱した好ゲームだった。その試合の後半、稲垣はスクラムで右耳の腫れをつぶしてしまった。
「破裂したんです。ここからここまで」と言いながら、右人差し指で右耳の上半分のふちをなでていく。
「貝みたいに、パカッと開いちゃったんです。ちぎれた感じになりました。気持ちが試合に入っていたので、自分ではわかりませんでした。相手の選手に、“やばいよ”“やばいよ”って言われて。傷口を指で押したら、プチューと血が飛び出てきました」
ハードボイルド的なストーリーである。強くなければ生きていけないのだ。
「血が止まるよう、ワセリン詰め込んで、そのままやりました。耳がつぶれようが、やるしかなかったんです」
こうやって、勝利の日、クリスマスケーキならぬ、“クリスマスぎょうざ”が出来上がったのだった。
昨季のトップリーグでは大活躍し、ベスト15と新人賞にかがやいた。スクラムだけでなく、走りまわり、強烈なタックルを見せ、チームの2冠に貢献した。
昨季で引退した元日本代表プロップの相馬朋和(現パナソニック スクラムコーチ)に鍛えられた。
「ぼくの組む相手がずっと、相馬さんだったので。いろいろと教えてもらいました。そりゃもう、苦労しました。完ぺきにスクラムで勝てたのは、1回もありません。そのまま引退された。なんだか、勝ち逃げされたようなイメージですね」
スクラムだけでなく、人間的にも指導されたという。例えば、理論構築。
「ロジカルに、物事を順序立てて考えられるようにもなりました。キャリアがあるので、対処法のキャパがすごいんです。例えば、スクラムを振り返ったとき、何が悪かったのか、落ちたからダメだったという見方はしない。じゃ、最初の足の幅はどうだったのか、といった具合に見ていくんです。順序立てて考えれば、パニックになることなく、解決できるんです」
183センチ、115キロ。ことし3月に右ひじ、6月には左ひじをそれぞれ手術し、肘関節内遊離体(関節ねずみ)を摘出した。その後、日本代表候補となった。
夢は?
「もちろん、2019年に日本で開催されるワールドカップをターゲットにしています。そのためには、2015年のワールドカップでもアピールする必要があります」
まだ24歳。ギョウザ耳のハードボイルド的プロップは一段ずつ、夢への階段をのぼっていくのである。
2014年9月19日掲載
※ 『ギョウザ耳列伝』は隔週金曜日更新
松瀬 学(まつせ まなぶ)
ノンフィクションライター。1960年生まれ。福岡県立修猷館高校、早稲田大学のラグビー部で活躍。早大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク支局に勤務。2002年に同社退社後、ノンフィクションライターに転身。人物モノ、五輪モノを得意とする。『汚れた金メダル 中国ドーピング疑惑を追う』(文藝春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。著書に『日本を想い、イラクを翔けた ラガー外交官・奥克彦の生涯 』(新潮社)、『ラグビーガールズ 楕円球に恋して』(小学館)、『負げねっすよ、釜石 鉄と魚とラグビーの街の復興ドキュメント』(光文社)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)など多数。