いたる君は穏やかだ。ミュージシャンのようにギターでも弾きそうな雰囲気が漂う。
13年ほど前か。取材をさせてもらったのは。そこからさらに柔らかくなった。
当時、ラグビーの荒っぽい世界にいたとは思えない。姓名は<谷口到>である。
ヤッケの色は深紅だった。高炉の色が顔にはえた。今月1日で42歳になった。
生誕から19日後はまた忘れられない日でもある。平尾誠二さんの命日である。
没後10年。いたる君は遠くを見る。
「生きていられるのは平尾さんのおかげです」
最大級の感謝が残る。
平尾さんは学年で22下のいたる君を世に出した。筑波でくすぶっていたバックローをGMとして神戸製鋼に引き入れた。
「いきなり知らない番号の着信がありました。平尾さんでした。いっぺん神戸に遊びにおいで、と言ってもらえました」
筑波の一学年下には西村康平がいた。
「いたるさんはふらっと練習に来て、3週走は細いWTBと同じくらいのタイムでした」
体格は188センチ、100キロほどだった。
いたる君の能力は逸材が多いツクバ・ブルーの中でも抜けていた。西村はSOだった。今は大阪にある布施工科のラグビー部監督につき、高校日本代表のコーチもしている。
いたる君は指導者との折り合いがよくなくなる。次第に練習から足が遠のく。
「籍だけは残しておきなさい」
部長だった中川昭は教員らしく助言した。
いたる君を平尾さんは惜しむ。高校やU21などの日本代表の経歴があった。平尾さんはフル代表の試合出場を示すキャップを35持ち、監督も経験した。許容範囲が広かった。
選手のよい部分を見出す、育てる、見捨てない。伏見工時代の恩師で、やんちゃくれに対峙した山口良治に学んだのだろう。平尾さんはその信条をいたる君にもおし広げた。
いたる君は振り返る。
「平尾さんに圧倒されました。格好いいし、粋だったし、いい匂いもしました」
施設を見て、話を聞いて、三宮の知る人が知る中華でごちそうになった。
プロ選手として入団するのは2008年。秋にシーズン前の練習試合があった。50点差ほどで負けた。試合中、小競り合いが起きた。いたる君も足を上げて走り寄る。
仲間を助ける、そんな美談を否定する。
「わざわざグラウンドを横切って行くやつはいないでしょう、ダメですよ、そんなの」
いたる君は反対サイドにいた。
試合後、平尾さんは手厳しかった。
「負けたのはおまえのせいや」
その言葉に抗うことはなかった。平尾さんには従順だった。
血の気が多かったいたる君を抑えることに平尾さんは気を配った。
「いたるにケンカさすな」
先輩の林慶鎬や松原裕司に指示が飛んだ。
林には試合中、後ろからはたかれた。
「いい加減にしろ、って。僕がレフリーにいらんことを言いました」
先輩の助けもあり、徐々に自重を覚えだす。
平尾さんにはプレーの指摘もされた。
「いたる、おまえは何でもできる。ただな、地味なこともできたら完ぺきや」
身を挺してボールを出す、忠実なフォローなど後輩の橋本大輝が参考になった。
いたる君は日本代表として初キャップを得る。入団2年後の2010年。11月6日のロシア戦だった。75-3と大勝する。翌年、ニュージーランドでのW杯にも選ばれた。4試合中3試合に出場。キャップは10を得る。
活躍はしても平尾さんと話すのは楽しみだった。特に年1回の契約更改である。
「エージェント(代理人)をつけなかったのはそういう意味もあります」
その時間、平尾さんを独り占めできた。
年俸の話を通じて、学びが多かった。
「まず、話を聞いてくれる。普通は僕みたいなクソガキの話、聞かないですよ。無理、無理で終わりです。話を聞いた上でロジックの成り立たない部分を突いてくるんです」
結果、屁理屈を考えざるを得なくなる。
いたる君は続ける。
「平尾さんのおかげで交渉ができるようになりました。今の仕事につながっています」
昨年、宅地建物取引士、いわゆる<宅建>の免許を取った。大阪市内で不動産会社の「CONNEXT」(コネクト)を立ち上げた。
プロのラグビー選手としては15季を過ごした。神戸Sとなったチームには13季在籍。2018-19シーズンにはトップリーグ優勝も果たした。その後、豊田織機を母体企業とするS愛知に移籍。2季を過ごした。リーグワンを含めた出場キャップは125に及んだ。
現役引退後は不動産の世界に分け入る。
「神戸に入って1年目に不動産の社長と知り合いました。父親代わりのような人です」
その社長の反対を押し切って、2年ほど修行を積んだ。同じ仕事を通して、父親代わりに近づきたい思いがあった。
そのつながりも平尾さんが引っ張って来たようなものである。亡くなる2か月ほど前、夏の暑い盛り、最後の電話があった。
「元気にしてるんか?」
自分のことを置く。最後に言った。
「頑張りや。いたるなら大丈夫や」
現役引退後、いたる君は母なる灘浜のグラウンドを訪れてはいない。
「スポンサーになれたら行きたいですね」
ラグビーを教えることもない。
「コーチは自分を律することをできる人がやるべきポジションです」
いたる君は平尾さんと接することによって、自分の流儀を築き上げた。
「ほんまにすごい人でした。」
その存在を忘れることなく、いたる君は今を生きる。不動産の世界で奮闘努力することが、恩返しになる。そして、それはまた、平尾さんが生きた証ともなる。
