ラグビーリパブリック

【コラム】つながる楕円の糸。

2026.07.22

第105回全国高校大会で母校を率いた(撮影:佐藤真一)

 このところリーグワンカレンダー「7月」は移籍発表期。日本人選手の移籍も普通になった。

 大きな決断をした選手が新たなチームで才能が開花することを願う。ケースは違うが、いったんトップレベルのラグビーから離れても、思わぬ形で繋がることもある。

 明和県央高校ラグビー部監督、立見聡明。昨年度、ラグマガ2月号別冊の花園ガイドで名を見つけて驚いた。

 2016年度、天理大1年でレギュラーに抜擢されたとき、話を聞いた選手だった。1年で10番を任されていたが、思い切りよいライン参加にスピード。さすが天理、いい選手を見つけてきたなという印象だった。

 群馬出身。高校までラグビーを続けてきたが、母を早くに亡くし、高校卒業後は就職して父を助けようと思っていたこと。それが周囲の尽力で、天理大でラグビーを続けられるようになったこと。将来はトップチームでラグビーを続けたいこと…。

 その後もレギュラーとして活躍していたが、大学4年時に足に大きなケガを負った。卒業後は豊田自動織機シャトルズ愛知に加入。わずか2年後、退団リストに名前があった。

 次に名を見つけたのが冒頭の花園ガイドだ。将来を期待されていたBKは、新たな挑戦を始めていた。

 大学卒業後、トップチームに加入したもののラグビーに行き詰まり、リーグワンに出ることなくスパイクを脱ぐと決めた。

「ラグビー自体が嫌になって。なんでやってるんだろうと」

 再び楕円の糸がつながったのは、職場でクラブラグビーを楽しんでいた同僚からの誘いだった。新たに身を置いたのは、東海Aリーグに所属するデンソーBLOOMS。トヨタヴェルブリッツや静岡ブルーレヴズのOBも所属しているチームと対戦することもあるチームだ。

 そこで10番の背番号を背負った。当初は勝てない試合が続いたが、入替戦で勝つことができた。そこでもう一度ラグビーの楽しさを思い出した。

「みんな大学までラグビーをやって、卒業後は普通に働いて週末だけラグビーをする人がほとんど。ラグビーが好きだから、楽しいから一生懸命やってる。やっぱりラグビーって、すごい競技だなと」

 一度は萎れた芽が、草の根でラグビーを楽しむ仲間たちと出会い、再び上を向き始めた。空き時間には母校である明和県央のグラウンドも通っていた。

 恩師である前監督の成田仁先生から、「学校に戻ってこないか」と誘われたのは3年前。菅平の夏合宿に教えに行っていたときのことだ。

「いつかは戻りたいと思っていたけれど、こんなに早く現役を引退するとは思ってなくて。声をかけてもらって、すごく嬉しかった。即決でした」

 2024年3月に退社。故郷に戻り、同年4月から母校の教員に。1年目は恩師の下でコーチを務め、翌25年度に監督に就任した。

 昨年度は監督1年目で花園初出場。今季は春季大会優勝し、6月に群馬で行われた関東大会はBブロックで出場した。

 指導のベースになっているのは、高校時代の成田監督と天理大時代の小松節夫監督だ。
「タイプが全然違います。成田先生は熱い。下手でも歯を食いしばって頑張る、まず体を張る。その中で上手さが出てくる。ラグビーをする上でのマインドを教わりました。小松さんは静かに見守って、ダメなときはダメと言ってくる」

 指導の根本は選手に考えさせることだ。
「怒鳴って“はいはい”と言わせていたら、先生がいる間はよくても、卒業した後の人生はずっと長い。自分で考えて進んでいかないと。ラグビーと同じだなと。なぜ勝てないのか。なぜ出られないのか。彼らに考えさせて、その手助けをするのが私の役目かなと」

 いま28歳。天理大では、初の日本一に輝いた世代の1学年上だ。最後尾でSH藤原忍(S東京ベイ)、SO松永拓朗(BL東京)とラインを操った。

 指導者となったいま、群馬で開催されるリーグワンの試合に選手を引率してトップのプレーを目にすると、心が揺れないこともない。だがそこで「いや、でも“俺は先生だぞ”」と思い直す。

 グラウンドでの練習メニューにも入るが、「まだ僕より上手い選手はいません」と笑う。
「そろそろ出てきます。高校在学中に僕と勝負できる子を育てたい。それが最近の目標です」

 生まれ育った群馬はジュニアの活動が盛んだ。自身も5歳のとき、前橋ラグビースクールで競技を始めた。県内には明和県央以外にも東農大二、桐生第一など強豪校があるが、近年は東京や神奈川、京阪神の強豪高校に進学する生徒も増えた。

「群馬でラグビーを始めた子たちが、高校もそのまま残るようになってほしい」

 そのためにも花園に出場し続けて、強豪と呼ばれるチームになり、地元でラグビーを続ける子どもたちを増やさなくてはいけない。

 まずは監督として2年連続の花園だ。
「去年から残った選手が多くて、積極的に話せるチーム。関東大会で立ち位置を知って夏合宿を経て、そして冬」

 リーグワンでのプレーは見られなかったけれど。いまは自分が巣立った場所で、将来の大舞台に立つ選手を育てる日々が始まっている。

天理大4年時のプレー(撮影:太田裕史)
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