ラスト9分で14点リードを奪いながら最後に追い上げられた激戦を26-24で制し、クボタスピアーズ船橋・東京ベイのアキラ・イエレミアは顔をほころばせた。
「最終的に勝ち切れてハッピー。身体は痛いですが、プレー中はチャレンジし続けなければいけませんでした。来週へ、リカバリーしてから(次戦への)準備をしたいです。(ノーサイドの瞬間は)幸せな気分も、フィジカルのしんどさも、次週にトロフィーを掲げる権利を保った嬉しさもありました」
5月31日、東京・秩父宮ラグビー場。加盟するリーグワン1部の準決勝で、埼玉パナソニックワイルドナイツを破った。背番号4をつけて先発フル出場した。前半途中より緊急登板した準々決勝に続き、攻守で渋く光った。
何より目立ったのは、LOの見せ場であるラインアウトでの動きだ。
加入2季目で身長194センチ、体重116キロの24歳は、真っすぐなジャンプと柔らかな捕球フォームを貫いた。23分頃には、相手ボールの1本を見事にカットした。
優雅なジャンプはバレーボール仕込みだ。高校時代にラグビーと同時並行で親しんでおり、19歳以下ニュージーランド代表になったことがある。
「(両立したのは)16歳から19歳まで。違ったことをやってみようと思って。バレーボールのスキルには、ラインアウトと似た要素があります。」
父のアラマ氏はサモアとニュージーランドで代表歴を持つ。アキラが生まれたのは、親がこの国の現東京サントリーサンゴリアスに在籍していた頃。5歳まで過ごした。
いまもある東京都府中市のグラウンドへ見に出かけ、練習が終わるのを待っていた記憶がある。
当時、かわいがってもらった選手を覚えているか。そう問われると、「いい質問だね!」と微笑み、「昔のことなので」。当然と言えば当然。覚えていることはある。幼少期に好きだった食べ物だ。
「おにぎりっす。めっちゃ好きです」
家族に偉大なプレーヤーがいる事実に「ラグビーとともに生きるなか、インスピレーションを受けた」と頷きながら、19歳からは楕円球の道に専念した。
「人生を鑑み、自分は何がしたいのかを考えたら、迷わずラグビーを選びました」
母国のウェリントン代表として、’24年に地域代表選手権に出場。スピアーズでのファーストシーズンを終えた’25年にも同じ舞台に立ち、自信をつけて昨年12月からのリーグワンに戻ってきた。
「1年目はルアン・ボタ、デーヴィッド・ブルブリング(スピアーズのLO勢)に多くを学び、その後、ニュージーランドで多くのゲームを経験できました。(来日理由は)常に海外に行きたい気持ちがあり、いずれ日本に戻りたいとも思っていたからです」
レギュラーシーズン18戦中15度のプレー機会で、地を這うタックルや懐の深いオフロードパスを披露。ノックアウトステージでも主戦級を張る。
「お互いに信頼し続けたことで、事態をうまく運べました」
改めて、日本生まれである。
国際統括団体であるワールドラグビーの取り決めに倣うと、日本代表になる資格がある。
そのためリーグワンでは「カテゴリA」に区分けされ、出場枠の制限とは無関係に出番を狙える。来季以降のカテゴリ再編後も、他の海外出身者の多くとは異なり「カテゴリA-1」にあたる。黄金時代の構築を目論むスピアーズにとって、得難きタレントだ。
父のルーツがあるサモア、育ってきたニュージーランド、縁のある日本のいずれかで代表選手になれるなか、当の本人は「まず今季したかったことが、スピアーズで(多くの)試合に出ることでした。その後は状況に応じて、です。日本であれ、ニュージーランドであれ、代表選手にはなりたいと思っています」。ひとまず6月7日、東京・国立競技場で日本一になるのを目指す。
