社会人のトップ3チームでラグビーができた。幸運だった。
不運は激しいタックルなどで脳震とうになったこと。31歳で現役引退を決断する。
人生はその運不運の繰り返し。花田広樹はそのことを感じているだろう。
現役引退の発表は所属のレッドハリケーンズ大阪が出した。年の瀬が色濃くなる先月26日だった。花田は185センチ、100キロのFL。バックローの軸だった。
略称「RH大阪」にとって、リーグワンのディビジョン2(二部)の開幕は13日前。シーズンが始まってすぐの引退は例を見ない。公式ファン・ブックには花田の選手写真が載っている。ここまでの苦悩が見て取れる。
「世界のラグビーを見ても、今がよければいいというわけではありません。リスクを背負ってラグビーをすることが長い人生から考えてどうなのか。最後は自分で決めました」
切れ長の目に翳(かげ)ができる。RH大阪での最後の出場は昨年4月20日。リーグ戦12節の日野RD戦だった。FLで先発した試合は12-20で敗れた。花田は後半開始時に倉橋歓太と交替している。
この時も脳震とう?
「はい」
残り2節で花田の出場はない。14のリーグ戦中8試合に出場した。RH大阪は開幕時の首位から6チーム中4位に沈んだ。勢いを持続できなかった。
その後のオフは検査や手入れに終始した。7月には左ひざを手術した。
「体をクリアにする、ということでした」
その流れの中で悪い結果が伝わる。
「異常が見つかりました」
頭部だった。
脳震とうは頭をぶつけた結果、意識消失が起こる。頭痛やめまい、ふらつきなどが残ったりする。医学部が軸の東邦大のプレスリリースには<3回繰り返した場合は癖がついていると考えられる>と記載されている。それが続けば死に至る可能性もある。
初めて受傷した時を思い出す。
「大学1年でした。ここまで多いかな、という印象はありました」
福岡大の頃だ。逆を返せば、花田のプレーはそれだけ強烈だった、ということになる。
その大学のある福岡県で育った。競技を始めたのは小2。R.F.C筑豊ジュニアである。
「父が立ち上げに関わっていました」
父の俊幸は嘉穂(かほ)のOBである。この県立高校は2回の全国大会出場がある。
中学時代は陸上部だった。近隣に中学のチームはない。高校は東福岡を選ぶ。
「ラグビーがしたくなりました。どうせなら強いところでと思いました」
入学までに冬の全国大会優勝は2回。花田の在学中に3連覇をして2回を積み増す。今は歴代3位タイの7回としている。
入学時はWTBだった。
「同期は30人ほどで、中学未経験は僕だけ。てっしんさんに鍛えてもらいました」
川内鉄心。監督だった谷崎重幸の法政大の同期で日本代表のBKだった。外側に抜けるスワーブの練習などを繰り返した。
高3の春にNO8に移った。
「ベースが下の分、試合に出してもらうたびに成長を感じられました。楽しかったです」
最終学年の全国大会は92回(2012年度)。8強戦で茗溪学園に24-31で敗れた。花田は中学未経験者ながらリザーブに入った。
そして、福岡大に進む。
「地元に残ろう、という気持ちでした」
4年間、福岡工大を崩せず、大学選手権出場はない。中央では無名の存在だったが、監督だった築城康拓(ついき・やすひろ)に次のステージでのプレーを勇気づけられる。
「やれるんじゃないかな」
築城は今、東京SGの分析を担当している。
大学卒業後は半年ほど、ニュージーランドにラグビー留学する。現地でクルセーダーズのスタッフだった樫塚安武に出会う。
「樫塚さんに生活をサポートしてもらったおかげで、目標をぶらさずにできました」
帰国後、クラブチームの玄海TANGAROA RGUBYに短期間、加わった。
その真剣さとプレーがコカ・コーラに伝わり、社員選手として入社する。2018年4月だった。チームはトップリーグに属した。ここでは3シーズンを過ごしたが、リーグワンに移行する段階で廃部になった。
「びっくりしました。自分がプレーしていたということもありましたが、それ以上に、小さい頃からあった身近なチームがなくなってしまう、という思いが強かったです」
プロ選手とした移籍した宗像サニックスも1シーズンで休部した。そして、前身のNTTドコモの採用だった渡辺義己に誘われる。
「先に行こう、と思いました」
チームは3つ目。RH大阪には3シーズン在籍した。リーグ戦出場は20の記録が残る。
そして、花田は社業に専念する。
「ラグビーからは一旦、引きます」
勤務先はドコモCS関西の監査部。法令などに従って業務が行われているかどうかを確認する。会社は携帯電話の販売など、NTTドコモの機能を分担している。
これまでのラグビー人生には感謝がつく。
「いろんな人にお世話になりました」
高校時代の谷崎、川内、大学の築城、樫塚、社会人3チームのスタッフもそうである。
感謝がある人間は強い。仕事でも周囲が手を差し伸べてくれることだろう。これからはOBとしてRH大阪を応援してゆく。
「愛されるチームになってほしい。そして、ディビジョン1に上がってほしいですね」
切れ長の目を細めて笑った。
花田は最後に言った。
「思い描いた終わり方ではありません。でも、面白い道は歩ませてもらったと思います」
大好きなラグビーを自分の意志で続けた。挑戦もし、達成もした。引退はその末のこと。
男子の本懐である。
