母と同じ軌跡を娘はなぞる。それは、古川圭子にとってうれしいことに違いない。
2人は高校3年間、ラグビー部のマネージャーだった。娘の晴加(はるか)は今、明治の4年生トレーナーである。
娘は6日後、5年ぶりの対抗戦優勝がかかった早明戦を迎える。
「最後だから特に頑張ってほしいと思います。すべてラグビーに注ぎ込んできましたから」
黒い宝石のような目を細め、花が咲いたように明るい笑顔を浮かべた。
古川は関西を代表するアナウンサーだ。籍を置くMBSはTBS系列の準キー局である。大阪に本社を置き、テレビとラジオの両方を持っている。古い人には毎日放送の呼び方が伝わりやすい。
この局は60年以上、ラグビー界に貢献し続けている。年末年始、大阪の花園ラグビー場で開催される高校全国大会の放映を始めたのは1960年(昭和35)だった。
そのラグビーに古川が触れたのは、高校に入学した時である。
「同好会としてできた頃で、部員たちが校門でビラ配りをしたりしていました」
他部のマネージャーを考えていたが、勧誘の熱心さにひかれた。義侠心がある。
古川の高校は豊中。愛称「トヨコー」は府立の進学校だ。大阪人にとっては母なる淀川の北、緑多き北摂(ほくせつ)にある。
「水、運びました。救急車、呼びました。私には絶対できない。走って、ぶつかるなんて」
競技者には尊敬の念がある。
その血を娘も受け継ぐ。高校は同じ北摂、進学校、府立の千里だった。
「花園の外まで行きました」
娘は高3時、第1グラウンドに隣接する「第3」と呼ばれるグラウンドで、101回全国大会の府予選準決勝を戦った。
千里は関大北陽に0-63で敗れた。決勝を制したのは常翔学園だった。
「11月までラグビーをやって、よく現役で明治に受かったと思います」
古川は娘に敬意を抱く。引退後、ドイツ文学を志望。駿河台から八幡山に立ち至る。
古川の最後の全国府予選は64回大会だった。1回戦で負けた。同志社香里に0-38。今、豊中は部がなくなり、千里は合同になった。古川は母になり、娘は来春、新社会人としてメディアの世界に入る。時は流れても、母を恋い慕う姿勢は変わらない。
古川は高校卒業後、神戸女学院に進む。英語を主に勉強する。在学中には、商売繁盛の「えべっさん」で名高い今宮戎神社の<ミス福娘>に選ばれる。卒業後、日本航空の地上スタッフ、大阪であった花の万博のコンパニオン、リポーターなどをつとめた。
1993年4月、MBSに正社員として入社した。この時、同じアナウンサーとして入ったのが松井愛である。学年で4つ下ということもあり、同期というより姉妹の感じが強い。松井は<ミス福娘>の後輩でもあり、古川はリポーターとして取材をしたことがある。
松井は妹分として古川に影響を与えている。MBSの全アナウンサーが登場する来年のカレンダーの作製時もそうだった。古川は自前の白地の着物で撮影に臨もうとした。
「あかんよ」
松井はそのセンスで私物の紫の着物に着替えさせた。
紫はより古川を押し出す。出来上がったカレンダーは銀座や北新地でのトップという雰囲気が満ちている。即戦力。古川は笑う。
「あっははは。それを狙いました」
ユーモアもたっぷり。仕事柄、人あしらいも上手に違いない。才能はマルチである。
このMBSでは夫となる亀井希生(まれお)とも出会った。同僚アナウンサー同士の結婚は当時、話題になった。2人が異動することはなかった。よき会社である。仕事時は夫婦別姓で活動している。
その2人の娘が最終学年での戦いを迎える。古川は自身が月火の朝に出演するラジオ番組『ヤマヒロのぴかッとモーニング』で大学ラグビーの話柄を選ぶことが多くなった。この番組はフリー・アナウンサーの山本浩之との良質の漫才のようなかけあいが魅力だ。
古川は大学選手権14回目の優勝を狙う帝京が勝った早帝戦、意外な幕切れに終わった慶明戦のことなどを話した。明治にとって、対抗戦のラスト・ゲームを<明早戦>と校名を頭に持ってこない理由も知っている。
それは早稲田や慶應への北島忠治の尊敬にほかならない。明治の創部は1922年(大正11)。早稲田は4年、慶應は23年、それに先駆けている。部員にも早明、慶明と呼ばせた。北島は1996年に95歳で没するまで、67年に渡り明治の監督をつとめた。
娘をサポートする、ということはその所属チームの歴史を知るということでもある。
「明治が好きです。タレントが集まっているのに、ころっと負ける時がありますね。あれっ、っていう感じです」
そのおおらかさも長年、明治がファンをひきつけるひとつの理由でもある。
今年5月には同志社との定期戦のために京田辺の同志社グラウンドへ足を運んだ。試合は40-28で勝利した。
「選手のみなさんは、娘を通して親戚の子どもみたいな感じがしています」
娘の1年時の主将は石田吉平。「きっぺいさん」と呼ぶWTBは横浜Eに入り、その俊敏さで日本代表キャップ9を得ている。
親戚の子が戦っているような錯覚すらもたらす試合のトップが早明戦と言っていい。12月7日は夫婦で国立競技場を訪れる。4年生の早明戦は応援する方もされる方も人生一度きり。当事者としては最後になる。
その思いをかみしめて、母は打ち振る紫紺の小旗に成長の喜びを込め、娘はテーピングのひと巻きにも勝利への思いを乗せる。
「私にとっても濃い4年間でした」
ひとつの集大成を母と娘は迎える。美しく、幸せなこと、この上ない。
