相模原ラグビースクールは、2000年生まれのスピードランナーを2人生んだ。
一人は三菱重工相模原ダイナボアーズの小泉怜史。もう一人はサクラセブンズの内海春菜子だ。
内海は6歳で同スクールに入団。男子と一緒にプレーした中学まではWTBだったから、「思いっきり走
ることは身体に染み付いています」。
いまの司令塔のポジションに入ったのは、國學院栃木入学後だ。後輩にラグビー未経験者が多く、自然と真ん中のポジションを任されるようになった。
「パスやムーブを使いながら周りとリンクして抜きにいく面白さを知りました」
大学は流経大(RKUグレース)に進んだ。関東代表としてコベルコカップに出場した2年時に、細かく教えてくれた井上愛美HCに惹かれたからだ。
「セブンズをちゃんと学んだのは大学からです。基礎を一つひとつ丁寧に学べました」
高校、大学と「注目される選手ではなかった」と自覚している。高校の同級生には田中笑伊、小西想羅、大学の同期には北野和子、大塚朱紗と後に7人制、15人制の代表となるビッグネームが何人もいたからだ。
「代表を目指していたわけでもなかったので、普通の高校生活を送っていました。社会人で続けるとめたのも、ケガが多くてここで終わるのはもったいないなと思っただけで…。気楽に2年ぐらいやって、辞めようと思っていました」
YOKOHAMA TKMに加入したのも、ラグビーを続けながら、かねて希望していた介護の仕事に携われるからだ。
しかし、社会人1年目(2022年)に状況が一変する。
7月に初めてサクラセブンズの候補合宿に呼ばれると、10月のアジアセブンズシリーズ・タイ大会で初キャップを獲得。年末から年始にかけてワールドシリーズにも出場し、世界を転戦した。
「はじめは合宿が多かったので、仕事に行けなくなるのが嫌でした。介護福祉士の資格も取りたかったんです。オリンピックも遠い存在でした。でも、戦っていくうちに楽しくなってきて。新しい学びも多いし、普段できない選手たちとプレーする楽しさにも気づけました。だんだんと、自分もオリンピックを目指せるのではないかと思うようになりました」
パリオリンピックは全試合に先発した。9位と目標に届かず、「いましかできないことを頑張りたい」と2回目の出場を目指している。
代表キャップを重ね、より周りも見えるようになってきた。
味方の映像を見ながらプレーの特徴を把握し、各々の欲しいタイミングでパスを放れる。味方を生かす。
「周りに合わせられるのが自分の強みですが、それだけではダメだと思っています」
チームも個人も、変化を恐れず前に進む。
※ラグビーマガジン12月号(10月25日発売)の「セブンズ女子日本代表特集」を再編集し掲載。掲載情報は10月15日時点。
