ブレイクのきっかけはオフシーズンにあった。
慶大ラグビー部2年の田村優太郎は、加盟する関東大学対抗戦Aでハイパフォーマンスを保つ。今季はここまで、結膜炎のため欠場の立大戦を除く全試合で最後尾のFBとして先発。きれのあるカウンターアタック、前衛のCTB経験者らしい思い切って間合いを詰めてのタックルが光る。
「チャレンジするしかない。苦しい時間帯もハードにやります」
身長174センチ、体重80キロ。「転勤族」の子どもはタイで生まれ、中学1年になるまでに東京、福岡、シンガポールに引っ越した。楕円球に触れたのは小学3年時だ。「弟の友達」に誘われ、北九州市で活動する鞘ヶ谷ラグビースクールに入った。
「弟はやらなかったんですけど、(自身は)はまっちゃって。とにかく、走り回るのが楽しかった」
2015年、ワールドカップイングランド大会で日本代表が歴史的3勝。そのジャパンの一員で、スクールのOBでもある山田章仁が、自分たちのグラウンドに来てくれたことも田村の思い出だ。
くしくも、その山田の出身校でもある慶大のジャージィを着ることとなる。シンガポールでは現地のクラブで唯一の日本人選手となり英語も覚えた。その後は同じチームメイトと長く一緒にいたいからと、寮のある茨城の茗溪学園中、高で過ごした。
「色んな人と関わってきて、色んなものを吸収して、色んなものを学べました」
好きなスタイルは「格上を相手に、素質だけでやるのではなく、努力や工夫で向かっていく」。高校と同様にスポーツ推薦のない慶大の門をたたいた。
大学でのルーキーイヤーを終えると、ひとつの転機を迎えた。リーグワン1部のクラブへ練習参加が叶ったのだ。
2023年就任の青貫浩之監督は、現主将でCTBの今野椋平が似たような体験を通して一気に成長したのを近くで見ていた。今野は大学限りでトップレベルから退く。裏を返せば、本人の進路とは無関係の文脈で、伸びしろのあるタレントを高いステージへ預けるのが吉と考えた。
関係者を通じ、田村は都内近郊の強豪に受け入れてもらった。約1週間のトレーニングを経て、進歩を実感した。
「プロの選手たちのコミュニケーションは量が多く、的確。その時は前のポジションでプレーしていたんですけど、後ろの選手は僕がそっちを見なくても指示を出してくれました。それで心に余裕ができました。(以後は慶大に戻ってからも)それまで難しく考えていたのが、『スペースがあれば走る』とシンプルに」
その過程を知る青貫にとって、今季の田村のブレイクは必然に映ったか。3勝2敗のチームは11月23日、東京・秩父宮ラグビー場で伝統の早慶戦こと早大戦に臨む。
