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ファイナンシャル・プランナー志望?タイラー・ポール、初選出の日本代表で存在感。

2025.10.16

トレーニング後、取材に応えるFLタイラー・ポール(筆者撮影)

 日本語を流暢に操る。そう褒められ、日本語で謙遜する。

「全然。もっと勉強すればよかった」

 南アフリカ出身のタイラー・ポールは2020年に来日。「(語学の)先生、友達と喋る」ことでバイリンガルに近づく。何よりプロラグビー選手として確たるキャリアを積み、この秋初めて日本代表となった。英語でしみじみと言う。

「いまここにいることは本当にラッキーで、光栄です」

 身長195センチ、体重111キロの30歳。FWの第2、3列で働く。サイズとパワーと勤勉さを兼備する。エディー・ジョーンズヘッドコーチには、同じクボタスピアーズ船橋・東京ベイ所属のデーヴィッド・ヴァンジーランドと並ぶ形でこう評された。

「いずれもサイズがあり、取り組む姿勢もよく、学ぶ意欲がある。ジャパンに適した選手です」

 10月6、7日は大分にいた。代表のFWキャンプに参加中だった。空中戦のラインアウトとそれを起点にしたモールを鍛えるなか、この人が塊を推し進めたり、せき止めたりする局面で力を発揮していた。

 スピアーズの前川泰慶ゼネラルマネージャーは、大らかなフレーズで讃える。

「タイラー・ポールのモールは、凄いですね。『あんな、凄いんや』と(感心する)。真面目だし、(指導者は)使いたくなるでしょうね」

 本人は簡潔に意気込む。

「ハードワーク。ただそれだけ」

 自国で長らくプロ生活を送っていた。2016年から自国のキングス、シャークスを渡り歩き、国際リーグのスーパーラグビーに参戦してきた。

 来日のきっかけは、’20年のパンデミックに伴うリーグ中断だ。当時、ライバルチームのライオンズを率いていたヨハン・アッカーマンが指導し始めるNTTドコモレッドハリケーンズ(現レッドハリケーンズ大阪)に誘われた。

 当初は収まらぬ新型コロナウイルスの感染拡大のあおりで出場機会が減り「ストレスフル」にもなったが、社会が復元に近づくにつれて存在感を発揮。’22年、NTTグループのクラブ再編に伴い新設の浦安D-Rocksへ加わった。

 渋く光る海外勢として評価を高めるさなか、視線を向けたのは国際舞台だ。統括団体のワールドラグビーの指針をチェックし、5年以上の連続居住でその国のルーツを持たなくても代表入りを狙えると気づいた。

 ’23年度終了後に決断した。

「あと1年プレーしたら(要件を満たして)日本代表になれるとわかった。それを目標に掲げたのはその時からです」

 この国のリーグワンでは、昨季から「カテゴリA」に区分された。日本代表でプレーできる選手が対象となる。

 そのシーズンから、’22年度王者のスピアーズへ移った。強力FWの一角を担い、チームにとり2季ぶりの決勝進出を果たした。

 そのスピアーズの公式ウェブサイトで、興味深い記述がある。

 個人を紹介するページにおける「もしラグビーをしていなかったら」の問いへの答えが、「ファイナンシャル・プランナー」だった。

 本人は認める。

「ラグビーがうまくいかなかったら、その業界に入っていました」

 関係者を通じての補足情報によると、2017年までネルソンマンデラ大で学び、’19年からミリアンビジネススクールへ通学。大学院レベルの専門性を短い期間で所得できるポストグラデュエート・ディプロマを取得したようだ。

 自国で資格を得るにはさらなる実務経験や「あともういくつかのテスト」が必要とのこと。とはいえ、高強度のゲームと長距離移動のあるスーパーラグビーに挑みながら勉強し続けたのは確かだ。

「私がツアーに行く際はそれを考慮してくれるなど、学校の先生方にうまく適応していただいたのです」

 いまは楕円球の道を歩む。初めての代表キャンペーンでは11月、ワールドカップ2連覇中の母国代表との対戦を控える。感慨深げだ。

 1戦目は18日。大阪・ヨドコウ桜スタジアムで、若手主体のJAPAN XVがオーストラリアA代表との非代表戦に臨む。ポールも6番でメンバーに入った。

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