
40歳以上の高校ラグビーのOBたちが「一生青春」を合言葉にプレーする「マスターズ花園2025」(主催=マスターズ花園実行委員会)が10月12、13日の2日間、大阪府の東大阪市花園ラグビー場であった。2022年に始まった大会は4回目を迎えた。
初日の開会式では報徳学園の岩崎誠さんが選手宣誓した。
「われわれ選手一同はとことん楽しみ、そして、ゆるーくプレーすることを誓います」
岩崎さんは64歳。競技を始めたのは「バブー」の愛称がついた大阪ラグビースクールだった。報徳学園から中大、ワールドと歩み、主にSOとしてプレーを続けた。
その報徳学園と北野の初日の開幕戦において、大会開始のキックオフの笛を担当したのは91歳の野々村博さんだった。野々村さんは元トップレフリーで、東京教育大(現・筑波大)を卒業後は高体連のラグビー専門部の重鎮として高校ラグビーの発展に寄与した。
参加したのは10チーム。両日の7試合はすべてメインの第1グラウンドが使われた。各チームは60歳以上、50歳代、40歳代の3つの区分で、それぞれが20分を戦い、合計の得点を競った。順位決定戦は大会規則に盛り込まれていない。
この4回大会から、より安全面を考慮して、3つの区分すべてでタックルをやめ、タッチを採り入れた。タッチされれば、そこでポイントを作り、次の展開をはかる。タッチフットのように攻撃側に回数制限はない。
この大会は高校ラグビーの聖地・花園の第1グラウンドでプレーできる以外にも特典は色々とある。全試合は動画配信。メンバーの名前はスコアボードに映し出され、場内アナウンスがつく。使用するロッカーはグラウンドに近く、広いテストマッチ用のそれである。
試合後にはインゴールで記念撮影をする。さらに、更衣後はスコアボード下の「ラグビーワールドカップ2019ルーム」を使って、アフター・マッチ・ファンクションが行われ、軽食や飲料が提供される。
また、プラスチック製のIDカードは記念品になる。グラウンドに向かう通路には、大会協賛の大正製薬の人気商品、リポビタンDが冷やされ、飲み放題で置かれてある。大正製薬は日本代表のトップパートナーでもある。
福島県の県立校である磐城(いわき)は唯一12、13日の両日ともに大会に参加した。下河辺(しもかわべ)雅行さんは話す。
「出場を予定していたチームのキャンセルがあり、主催者から両日出場の打診が来ました。みんなにはかった上で決めました」
下河辺さんは59歳。チームの世話役をつとめている。
磐城は選手66人、スタッフ7人の計73人で大阪にやって来た。
「2日間、面白かったですね。この花園の第1グラウンドでラグビーができることは我々にとって価値のあることです」
下河辺さんは振り返った。
磐城は県内有数の進学校であり、ラグビー部の創部は1948年(昭和23)。県内ではもっとも古い。冬の全国大会、いわゆる「花園」の出場は18回と県内最多を誇る。最高位は一度の3回戦進出。76回大会(1996年度)では4強入りする大阪工大高(現・常翔学園)に16-104だった。
下河辺さんは3年時、64回大会に出場。その時は2回戦で敗退している。広島工に6-19だった。当時の出場選手名鑑に下河辺さんはリザーブの16番で名を連ねている。
磐城の主なOBは下河辺さんの同期の瀬野剛(たけし)さん。主にバックローとして、中京大からトヨタ自動車(現トヨタV)に入った。現役引退後は採用などを担当した。
磐城が2日目に戦った膳所(ぜぜ)は滋賀県有数の県立進学校であり、メンバーの中には62歳の浦野健介さんの姿があった。浦野さんは1985年度の同志社大の主将をつとめた。現役時代はバックロー。試合では50メートルほどを独走し、存在感を示した。
同志社大のひとつ上の学年には、「ミスターラグビー」と呼ばれた平尾誠二さんや大会後援の日本ラグビー協会のトップ、会長である土田雅人さんがいた。浦野さんは入学後、当時は最長だった大学選手権3連覇を経験する。大会は19~21回、年度は1982からだった。
往年の名選手たちも青春のころに戻った2日間。タッチに変えたため、グラウンド上では大きなケガもなかったと聞く。4回目の大会は成功裏に終わったと言えよう。
◆試合結果◆
12日
北野15-7報徳学園、四条畷19-5筑紫、早大学院8-0天王寺、天王寺5-0磐城、磐城10-5早大学院※最後の3試合は巴戦
13日
磐城10-0膳所、神戸10-5伊丹
主催=マスターズ花園実行委員会
主管=関西ラグビー協会、大阪府ラグビー協会
後援=毎日新聞社、スポーツ庁、大阪府、日本ラグビー協会、ワールドマスターズゲームズ2021関西組織委員会
協賛=HOS、大正製薬、フォトクリエイト、ミズノ、サントリー