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「自分もチームも弱い」から始めた。楢本幹志朗[筑波大/SO]

2025.09.25

 9月14日のケーズデンキスタジアム水戸に、楢本幹志朗はまさに君臨していた。

 筑波大の司令塔として、コントロールされた左足のキックでエリアを進める。瞬時の判断でトライまでの道筋を描く。リードが何度も入れ替わる中でも冷静でいた。

 関東大学対抗戦では12年ぶりとなる明大撃破の立役者の一人となった。

「あの日は特に裏のスペースがよく見えていました。ゆとりがありました」

 元トヨタヴェルブリッツCTBでOBの鈴木啓太BKコーチから、助言を受けたのは試合の1週間ほど前だ。

〈幹志朗と(SHの高橋)佑太朗がテンポを上げようとし過ぎて、せっかく良いスキルを持っているのにそれを出せていない。もう少し落ち着いたテンポの方が持っているスキルを出せると思うよ〉

「頭では納得していても、テンポを落とし過ぎたら相手に詰められるリスクがあるので、そこの塩梅を見つけるのに苦労しました。ただ、だんだんと掴め始めたら、良いパスを放れたり、スペースがよく見えるようになりました」

 明大戦では、その成果が見て取れた。

 前半26分にはキックダミーから左外に展開。FL中森真翔のラインブレイクを引き出し、チーム最初のトライに繋げた。

 その直後には、SH高橋が大きく振りかぶるパスダミーからラック脇を抜けた。

「どっちもゆとりがあったからできたプレーと思います。最初のトライはキックを蹴ろうと思っていたのですが、キックのカバーで相手が一枚後ろに下がっているのが見えて。一瞬の判断で外のスペースに放れました」

 この日は冷静でいながら大胆でもあった。

 拮抗した終盤では、一度チームが得たPKをふいにしていた。際を狙い過ぎたが故に、タッチインゴールラインまで飛んでしまったのだ。

 しかし、その直後に再び得たPKもゴール前へと蹴り込む。
 その後のアタックはスコアにこそ繋がらなかったが、その強気な姿勢はチームを勢いづけただろう。

「以前、OBの仁熊さん(秀斗/現・東京SG)と話す機会があって。ミスした後に抱え込む悪い癖を相談しました。切り替えるというよりもメンタルのタフさが大事で、ミスした後にルーティーンを作れば前向きになれると教えてもらいました」

 それを実践した。失敗した後、WTBの濱島遼と両手でハイタッチ。普段の練習から採り入れていたルーティーンだった。「それが次の攻めたキックに繋がったのかなと思います」。

 試合前には仲間のマインドも変えようと動いた。
 菅平での夏合宿では明大に31-22で勝利を収めるも、前半は0-22と離された。

 下山後、「このままだとこれまでと同じように良い試合はできても勝ち切れない。残り3週間で何かを変えたい」と訴えた。

 そこで4年生が出した案は、グラウンドのスコアボードに夏合宿の前半のスコア(0-22)を入れておくことだった。

「スコアボードを常に見て、絶対にひっくり返すという強いマインドを持とうと。練習中に上手くいかないときがあったら、スコアボードを見て『もう一度ああいう風にはなりたくないよね』と。それで一つの方向に向けたと思います」

 ただ、この明大戦勝利にはまだ前段があった。

 新チームの活動がスタートする年明けよりも前の話だ。
 4年生たちは、対抗戦を6位で終えた前年の反省を始めていた。

「去年は個人としてもチームとしても思い出したくないぐらい辛いシーズンでした。ただ、こんな言い方は良くないけど、逆に対抗戦でシーズンが終わったから僕ら4年生は真剣に話し合えたと思います」

 選手権出場を逃したチームをいかに立て直すか。
 各々が本音をぶつけた。言いたくないことも言い合った。

 筑波大には花園で優勝を経験したり、世代別代表常連の選手もいれば、高校からラグビーを始めたり、合同チーム出身だった選手も在籍している。
 バックボーンが違えば、意見もやはり違う。

〈本気で日本一になる気があるのか〉
〈6位だったチームが日本一を掲げるのは無謀ではないか〉

 といった具合に意見は割れた。それでも、キャプテンの高橋、バイスキャプテンの楢本らが日本一への熱い思いを伝えた。「最後はみんな納得してくれました」。

 では、具体的にどうやって日本一になるのか。さまざまな視点から課題を洗い出した。その一つがウエートだった。

「帝京大にフィジカルで勝つためには、ウエートは避けられない。授業はあるけど、無理をしてでも早朝からやろうと」

 選手たちが自主的に集まり、週に4回は朝の6時半からウエートに励んだ。
 メニューはストレングス委員会のリーダーを担う髙木海斗が中心となって作った。時にはリーグワンのクラブに聞きに行き、新しいメニューや考えを仕入れた。

 はじめは寝坊での遅刻や無断欠席をする選手もいたが、リーダー陣がその甘さを排除した。口酸っぱく声をかけ、妥協を許さなかった。

「髙木たちがやってくれていることに応えるには、僕らリーダー陣が嫌われたとしても厳しく言わないといけない。いまはそういう遅刻はほとんどありません」

 楢本自身は、身体を万全な状態に戻すことから始めた。
 右ふくらはぎの手術に踏み切る。実は2年前に肉離れを起こし、その状態が徐々に悪化していた。

「そのときは少し痛いくらいだったので続けていたのですが、肉離れの時に起きた内出血が固まって、筋肉の動きを邪魔していました。最後の方は直立もできない状態で…。軸足が定まらないまま、昨シーズンを過ごしてしまいました」

 夏前までのリハビリ期間中は仲間と同じくウエートを追い込み、下半身の強化に成功。寮生活でない中、カロリーやタンパク質の量など食生活にも目を光らせ、体脂肪率を5%弱減らした。

「すごく動きやすくなりました。それがキックの安定感にも繋がっていると思うし、後半のきつい時間帯でもスプリントできるようになりました」

 ただ、昨季の不調の原因はメンタル面にもあった。
 上級生となって「チームを勝たせたい」という気持ちが強過ぎるあまり、余裕を失った。一つのミス、一つの負けに固執し、負のスパイラルに陥っていた。

「伊藤耕太郎さん(明大/現・BR東京)、髙本幹也さん(帝京大/現・東京SG)が卒業されて、3年生のときは対抗戦で10番をずっと背負ってきたのは僕しかいませんでした。絶対に対抗戦でチームを全勝させようと。でも、一度そういう思いは捨てました。やってきたことに自信はあるけど、僕が弱いという自覚、去年は6位だということを認めることから始めました」

 嶋﨑達也監督から「もっと自分に矢印に向けていい期間もある」とのアドバイスを受け、チーム運営を他の4年生に託した。
 おかげで自身のコンディションを心身ともに整えられた。

「春は佑太朗もJTS(ジャパン・タレント・スコッド)で不在だったので、オンフィールドでは前川(陽来/バイスキャプテン)が引っ張ってくれました。ジュニアやCチームも4年生がまとめてくれたし、外から一人ひとりの成長が見られて4年生を誇らしく思えました」

 いまは秩父宮ラグビー場での慶大戦を控える(9月28日)。
 昨季3位、全国4強のチームを破ったからといって、慢心はない。

「対抗戦の厳しさは4年生が1番知っています。一戦一戦、同じ気持ちで挑まないと勝てません。この1年、(前年の)6位から日本一まで駆け上がるストーリーをずっと描き続けてきました。周りから見ると無謀と思われるかもしれないけど、僕らだけは信じ切ろうと。そのためにどうすればいいかをずっと考えてきました。今年はみんなが自信を持てていますし、僕も信じています」

左足でのキックが冴えた明大戦(撮影:福島宏治)
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