今季の大学ラグビーは、開幕戦から各所で波乱が起きている。
9月14日には水戸で筑波大が明大を破った。
関東大学対抗戦での対明大戦勝利は、実に12年ぶりだった。
その試合で両CTBを担ったのが、今村颯汰と東島和哉だ。ともに県立高校出身である。
4年生の東島は浦和高校でラグビーを始めた。
小学生時代はサッカーに励み、中学ではバスケ部だった。
「中学の先輩がラグビー部にいたので、とりあえずやってみようと。軽い感じで入りました。でも、サッカーやバスケよりも上手くプレーできている感覚があったんです」
いまでも武器とするタックルは、はじめからためらいなくできた。「アタックはボールを持っているので、落としたらマズいじゃないですか」と笑う。
「でもディフェンスは、言ってしまえば当たるだけでいい。そう思えば怖くなかったです」
2年時には主力のCTBとして花園(99回大会)を経験した。
チームは3回戦まで進んだ。
筑波大に入学したのはその2年後。ほとんどの部員が所属する「体育専門学群」ではなく、理系ながら経済を学べる「理工学群社会工学類」に入る。1年間の浪人生活を経た。
東大合格者数で全国屈指の実績を誇る進学校の出だが、志望校は高校3年時から変えなかった。
「東大を目指すやつとは壁を感じて。(彼らは)本当に頭が良いんです(笑)。チャレンジする気も起きませんでした」
ラグビーでも身の丈に合う場を求めた。「Aチームで出させてもらえたら、もちろん死ぬ気でやる」と前置きしながら、「対抗戦に絶対出たい!という気持ちになったことはない」という。
「Aチームで出られるとは思っていませんでした。いまも背伸びしていると感じるくらいです」
ただ、タレントたちに合わせようとハンドリングは磨いていた。
ディフェンスでは、周りと連携しながら13番としてラインをコントロールできるようになり、「ラインを上げる」、「外側にスライドする」といった判断を研ぎ澄ませた。
それでも、対抗戦デビューを飾れたのは「ケガをしなかったから」と謙虚な自己分析にとどめる。
「4年間でほとんどケガをしてこなかったので、ずっとジュニア(Bチーム)の試合には出られました。ディフェンスでは相手の顔や体勢を見たり、試合の流れを読んで判断していますが、それも試合経験を積めたからその力も伸びたのだと思います」
野心を感じさせない愛称「ガーシー」を、嶋﨑達也監督はこう評する。
「自分のためには頑張れないけど、誰かのために頑張れるタイプに映ります。今年は志の高い4年生たちが多いので、それに引っ張られている側面もあるかもしれません」
本人も「みんなの日本一への熱量がすごく高いので、自分だけ甘えたことはできないし、同じぐらい頑張らないといけないと思わせてくれる」と頷く。
「確かに、自分がどうこう活躍するとかを気にしたことはありません。自分が出るということは誰かが出られないということ。少なくともその人の分まで頑張らないといけないし、応援してくれる人のことも考えてプレーしています」
利他的な性格は、この先の進路にも影響した。
大学卒業後は国家公務員となることが決まっている。すでに試験と面接はパスした。
「公のために働きたい、人のために働きたいと思っていました。国家公務員であれば、より社会に深く関われます」
自身にとって最初で最後の対抗戦は始まったばかり。同じくスポーツ推薦組ではない相方の今村と闘志を燃やす。
「自分たちの周りはほとんど(世代別の)日本代表なので、周りの人からは『凹んでるな』と思われていると思います。それに負けないようなパフォーマンスを魅せたいです」
3年生の今村もまた、昨季までの主戦場はジュニアだった。
ほとんどの試合で東島とCTBコンビを組んだ。
「ガーシーさんはディフェンスがエゲツないので、僕のところで取り逃してもガーシーさんのところまで追い込めばどうにかしてくれる。隣にいてくれるだけで安心感があります」
先の明大戦も、東島と同じく初めて踏んだ対抗戦の舞台だった。
堅いエリアに何度も身を投じる姿を見てか、試合を中継したJ SPORTSの矢野武アナウンサーから「元気な今村」と連呼された。
「テレビで見ていた人たちが目の前にいました。めちゃくちゃ緊張しましたが、後悔しないように自分がやれることを精一杯やろうと」
福岡高校出身。はじめは高校で競技人生を閉じる予定だった。
しかし、最終学年で膝の前十字靭帯を断裂。引退試合となる花園予選にも出られなかった。
不完全燃焼だった。地元の大学としていた志望校を変更。福高OBで前主将の中野真太郎に憧れ、筑波大を目指した。
ただ、一般入試を通過した後は「楽しみよりも不安の方が大きかった」。同期は11人(選手)と前後の学年と比べてうんと少ないから、相対的に推薦組のメンバーが多かった。
「一般組のBKにも水澤(雄太)や廣瀬(研太朗/ともに茗溪学園)など花園を経験したメンバーがいて、そんな人たちと同じレベルでラグビーができるのかと」
1年の夏にかけてSO、FBからインサイドCTBにコンバートしてからも、他人と比べて悩む日々を送った。「自分がどういうプレーをすればいいか、なかなか見出せなかった」と振り返る。
転機となったのは夏の菅平合宿。ケガ人が相次いだことで、繰り上がりでBチームの試合に出られた。そこで覚悟を決めた。
「それまでは周りが上手なので、自分もうまくやろうと考え過ぎていました。でも、筑波の12番は最初にキャリーするオプションが多いので、とにかくコンタクトしようと。その仕事を果たそうと思えてからは、やることがクリアになりました」
しかし169センチと小柄なうえ、入学当初は70キロとCTBで戦うにはあまりにも軽かった。Cチームの練習中でさえ、コンタクト局面で差し込まれるシーンがあった。
「このままだと何もできずに終わると思いました。とにかく食事量を増やして、ウエートもして…。1年の冬にはジムにも入会して回数を増やしました」
その甲斐もあって、「まだまだ足りない」としながら78キロまでは増量できた。
加えてボールキャリーのスキルも磨いた。
「正面でコンタクト勝負をしても負けてしまうので、最後の最後まで相手を見ました。常にパスのオプションを持ちながら相手が迷うように。潜って、潜って、低く、低くコンタクトしました」
謙虚な姿勢は東島と似る。その意味でCTBはハマり役なのだろう。
「人に迷惑をかけたくないという感覚はシンパシーを感じます。1年生の頃は上級生に迷惑をかけないように、無理せずプレーしようとずっと考えていました。負けず嫌いなので試合には勝ちたい。でも、チームとして勝てればよくて、自分が活躍したいとは思いません。自分は少しでも前進してクイックにボールを出せれば、他のメンバーが絶対にやってくれますから」
堅実な二人がいるから、外側のランナーが引き立つ。
一般の星は、渋く輝く。