閃きと走りが光る。
吉田琉生。昨年度の高校日本代表だった身長176センチ、体重85キロのプレーメーカーが、大学選手権4連覇中の帝京大ラグビー部に入るや頭角を現している。
春、夏のゲームで最後尾のFBを任された。9月13日の関東大学対抗戦Aの初戦(東京・駒沢オリンピック公園総合運動場/対立大)でも、その役目で先発する。
相馬朋和監督は、かねて司令塔のSOだったこの人の起用法について述べる。
「彼がフィールドに立って自由にプレーできるポジションを…と考えると、いまの編成だとFBのほうが彼にとってもチームにとってもいい。相手にとって脅威になる形を考えても、伸びしろのある1年生がそこにいるのがいい」
キャラクターについて聞かれればこうだ。
「何かを、してくれそうじゃないですか。そのうえ、『どうしたらいいですか』と聞いてくる子でもある」
指揮官の期待を背負う青年は、旅を恐れない。
古くからラグビーどころとされる秋田で育ち、父や兄の影響で、脇本おいばなラグビースクール、男鹿東中で楕円球を追った。
6学年上で現日立サンネクサス茨城の吉田優馬ら、きょうだいのラグビーマンは地元で幼少期を過ごしている。
次男は、違った。
成長できる環境はどこか。義務教育を終えるタイミングでそう考えた末、全国屈指の東海大大阪仰星高に興味がわいた。
高校ラグビーの試合を見たり、日ごろから選手に「ラグビーを科学せぇ」と叫ぶ湯浅大智監督について書かれた本を読んだりし、越境してでも仰星に挑むべきだと確信した。その通りにした。
「仰星は(個々の)ポテンシャルだけに頼らず、チームとして動く。自分自身、ランや個人技が得意なのですが、周りを活かす部分が欠けていた。それをプラスに変えられる場所が、仰星だった」
もうその時点で、「限界を求めずにやっていこう」と競技に人生を賭けるつもりだった。家計に影響を与えた事実を「親に迷惑をかけた。恩返しの気持ちを込めて、1日、1日、悔いのない生活をしていけたら」と認識して過ごした末、3年時に全国準優勝。カテゴリー別の代表にも入った。
帝京大へ進んだわけは簡潔だ。「日本一、強い」から。周りに相談して身の振り方を決める高校3年時、その意志を伝えた。
「組織的に強いチームに所属して、自分よりも速い、うまい、強いプレーヤーがたくさんいるなかで、もっと成長したいと思っています」
日々、課題を見つける。4~6月の関東春季大会・Aグループでは、早大との最終戦で唯一の黒星を喫した。35-36。
早めに前衛の選手へ声をかけて防御ラインを整えるなど、プレーとプレーの合間のコミュニケーションをより「丁寧に」したいと感じた。ここを改善すれば、ピンチを未然に防ぎやすくなるだろう。
会場が敵地のグラウンドだったこと自体は楽しめたものの、冷静に振り返れば「相手チームのファン、自分たちがミスをした時の雰囲気とかに左右される部分があった」とも反省する。
誠実なレビューを重ねながら、大志を抱く。
「日本代表やリーグワンなど、上のカテゴリーでプレーしたい。海外でもやりたい気持ちがあります。手前のことをひとつひとつ丁寧にやっていき、応援される選手になったら、そういう位置にも行けると思います」
己の選択が己を豊かにすると自信を持つ。