香川は母の姓、ハヴィリは父の姓。メレは叔母と同じ名前をもらい、優愛は祖父が付けてくれた。
香川メレ優愛ハヴィリが、自身のアイデンティティを再認識したのは2年前の9月だ。
12年ぶりにトンガに行き、親戚と会った。
「自分は日本生まれ日本育ちで、ずっと日本の環境で育ってきました。でも、トンガは日本と全然違う文化です。それがすごく良いなって。家族愛が本当に深くて、遠く離れた場所からでもみんなが応援してくれていると感じられました」
その際には、右腕にいとこと同じ柄のタトゥーを入れた。
一つひとつの模様に、父が生まれ育った村であるハテイホやトンガの女性、トンガ人などの意味が込められている。
日本と異なる文化に触れたのは、これが初めてではなかった。
「視野を広げたい」と、早大4年時にアメリカへ渡っていた。
ロサンゼルスやワシントンなど、約7か月かけて右に左に大陸を移動。楕円球を通して、いろんな人と出会った。
「大きな企業など仕事で活躍している選手が多かったです。みんな、ラグビー以外に自分を語れる何かを持っているのがカッコよかった」
自身も幅を広げた。趣味は海釣り、編み物、お菓子作りと多岐に渡る。「ただ楽しいことをしているだけなのですが」と笑った。
埼玉で生まれ育った。浦和ラグビースクールで競技を始めたのは8歳だ。
先に通っていた兄の影響も大きかったが、決め手は「行くたびにアイスをもらえた」からだった。
トンガ出身の父、トゥアナキ ハヴィリさんも元ラグビーマン。大塚刷毛でNO8としてプレーしていた。
自身も、大学卒業後から所属しているナナイロ プリズム福岡で15人制をプレーするときはNO8だった。
しかし、サクラフィフティーンのレスリー・マッケンジーHCはWTBとして招集した。チームに加わったのは昨年からだ。
それまでの主戦場はセブンズだった。日本代表として9キャップを持ち、東京オリンピックには惜しくも出場できなかったが、バックアップメンバーに名を連ねた。
「セブンスで前に出るスタイルのプレーが好きになって。それからは自然とその強みを伸ばすようになりました」
サクラフィフティーンのWTBといえば、今釘小町や松村美咲のようにキックに秀で、ステップワークを得意とする選手が活躍してきた。
パワフルな縦突破を武器とする香川は、それと一線を画す。
だから、はじめは悩んだ。
「WTBとして自分のキャラをどう生かせばいいのか、すごく試行錯誤しました。自分は日本人タイプのWTBではない。最初はWTBが楽しくなかったんです」
気持ちを切り替えたのは、ワールドカップに向けて今年の3月から始まった強化合宿からだ。
「他のポジションをやった方が良かったなと思いながらやり続けていたら後悔すると思いました。WTBとしてやっていく覚悟を決めました」
以降は思い切って縦のキャリーを増やし、どこにでも顔を出して自分からボールをもらいにいった。
フィットネスは、セブンズで培ってきたから自信がある。
ブラックファーンズのWTBを参考に、自分色のウィンガー像を目指した。
「トライを取り切る気持ちも以前は足りなかったと思います。ボールをもらったら、絶対に自分がトライを取りに行く。そのことを毎日徹底して意識してきました」
初めて笑顔で試合を終えられたのは、ワールドカップ前に秩父宮ラグビー場でおこなわれたスペイン戦第2戦だ。
昨年5月の香港戦で代表デビューを飾ってから、5キャップ目だった。
11番で先発し、2トライを挙げた。
「今日は初めて楽しくWTBでプレーできました。ようやくです」
その日の翌日にはレスリーHCに呼ばれ、「あなたをワールドカップに連れて行きます」と伝えられた。
「涙が止まらなかった」と回想する。
「ただただ嬉しくて。レスリーさんがハグをしてくれました」
そのワールドカップ2025イングランド大会で、お鉢が回ってきたのはサクラフィフティーンにとって最終戦となったスペイン戦だ。
過去2戦はメンバー外。3戦目にして背番号23のジャージーを掴んだ。
「どんな状況でも万全な準備をしないといけないと思って過ごしてきました」
初めて「楽しい」と思えた相手と再び相まみえる。
「あのときのスペインとは全然違う。自分もあのときとは違う自分で戦わないといけない」と覚悟を決める。
「勝つことはいままで支えてくれた方々への恩返しになります。1戦目、2戦目でメンバーが日本のラグビーを体現してくれた。その価値を守りたいです」