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一般入試で特例入部。這い上がったラグビー人生。浅尾至音[東洋大/CTB]

2025.08.22

昨季は歴代最高位の2位で2回目の大学選手権出場を決めた東洋大。そのメンバーが多くの残る今季の期待は大きい(撮影:北川未藍)

「どこの大学からも声がかからなかったことがコンプレックスで、悔しかったんです。大学では『なんで俺を取らんかったんや』って言えるくらい、自分の実力の証明をしようと心に決めてやってきました」

 高校時代はどの大学からも評価されなかった。
 それでも、諦めずに這い上がってきた男がいる。

 浅尾至音(あさお・しおん)。

 東洋大の主軸を担う3年生だ。堅いエリアへ臆せず身を投じるCTBとして、仲間からの信頼も厚い。

 ラグビーとの出会いは小学5年生。2015年ワールドカップでの日本代表の活躍に心を奪われ、徳島ラグビースクールで楕円球を追い始めた。

 高校は地元の強豪校である城東に進む。少人数ながら強い絆で結ばれたチームの中で、熱い日々を過ごした。

 だが、思い描いたような3年間とはいかなかった。
 まさに苦難の連続だったのだ。

「2年のときは足をケガしてあまり試合に出れなかった。3年のときは人数が足りなくて、助っ人を借りながら試合に出た時期もありました。自分の進路も決まらなかったこともあり、苦しかったです」

 キャプテンとしてチームを背負いながら、未来が見えない。練習を終えてから学習塾へと足を運び、夜遅くまで机に向かう日々。「大学でラグビーは続けんとこうかな」。そう考えていた。

「そのときはラグビーが嫌いというか、進学先が決まらず、むしゃくしゃしていました」

 負の感情を持ったまま迎えた最後の花園は、倉敷に敗れて1回戦敗退。ロスタイムでのサヨナラ逆転負けだった。
 しかしその経験が、かえって浅尾を奮い立たせた。

「こんなんで俺のラグビー終わったんか。いや、ここでは終われない、と思って。それからは1日10時間以上勉強しました」

 もう一度、真剣にラグビーと向き合うため。ラグビー部がある大学への一般受験を志し、勉強に打ち込んだ。

 ただ結果は無情だった。受験した大学はすべて不合格。

「浪人が決まって。『あ、終わったな』と思いました」

 天が味方したのは、予備校を探していたときだった。
 東洋大から「繰り上げ合格」の通知が届いたのだ。

 まもなく、ラグビー部への入部を志願する。東洋大は一般入試で入学した選手の入部を許可していなかったが、高校の監督の後押しもあり、「特例」で仮入部できた。

 同期から3週間遅れての入寮したこともあり、練習も筋トレも周りから遅れをとった。
 必死で食らいつく毎日だった。

「もう帰りたいなって思ったくらいです。自分だけ遅れていたのが悔しかったです」

 不屈の精神でトレーニングに励んだ。その姿勢を評価され、関東リーグ戦の第2節・立正大戦で初出場を果たす。トライもマークした。

「リーグ戦でも通用したことが自信になり、そこからはボールを持ったら前に出るように意識しました」

 以降、リーグ戦7試合中6試合で主にアウトサイドCTBで先発を任された。

 2年時に訪れた苦難もまた、浅尾を成長させた。
 関東春季交流大会の慶大戦で、明らかにパフォーマンスを落としたのだ。

「パニックになって凡ミスばかりで。自分が戦犯みたいな形で負けてしまった(17-62)。Cチームまで落ちました」

 何が強みで、何が課題なのか。自己分析を繰り返し、私生活から見直した。
 関東リーグ戦の第2節・法大で公式戦に復帰、2トライを挙げるなどたくましくなって帰ってきた。

 3年生となったいまは学年リーダーも務める。チームを牽引する立場となった。

「これからは自分が支える側にならないと。4年生だけにきついことを背負わせるのではなく、自分も前に出ていかないといけないと思っています」

 受け入れてくれたチームに恩返しするために全力を尽くす。その先には、新たな夢も芽生えた。リーグワンの舞台でプレーすることだ。

「リーグワンで活躍したいです。中高の頃は考えていなかったんですけど、いまは強く思っています」

 進化はいまも止まらない。
 これからも、自分の価値をグラウンドで表現し続ける。

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