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【ラグリパWest】ウエールズのその先へ。小田剛 [北九州ラグビー協会/総務委員長]

2025.08.21

北九州ラグビー協会の小田剛さん(右から2人目)はウエールズと北九州をつなぎ、そこからこの街の発展させる役目を担っている。先月5日にはウエールズ代表が来征。日本代表とミクニワールドスタジアム北九州で戦った。写真左端はその遠征に帯同したリース・ウイリアムス。WTBやFBとしてウエールズ代表キャップを44を得る。みなさん一杯飲んでご機嫌さん

 出発点はラグビーだ。
<北九州にウエールズを>
 そこから、さらにこの母なる街を発展させてゆく。

 小田剛(おだ・ごう)である。北九州ラグビー協会の総務委員長をつとめている。

 この地区のラグビー協会の序列としては3番目。トップは九州、次が福岡県になる。
「町内会みたいなもんです」
 小田が笑えば、顔全体が崩れる。目じりは常に下がっている。

 北九州協会は任意団体で、法人格はない。それでも、小田を軸にした働きかけでウエールズをこの街に呼び、関係性を築いた。
「火をつけるのは楽しい」
 いわゆる<草の根運動>を形にした。

 7月5日、ウエールズと日本がこの北九州で初めて戦った。日本は24-19と15回の対戦で2度目の勝利を得た。1週間後、神戸での再戦は31-22とウエールズが雪辱する。
「非国民みたいなことを言いますが、おめでとう、という感じでした」
 W杯日本大会でウエールズが北九州の地をキャンプ地にして6年が経っていた。

 小田は第1戦の当日、会場のミクニワールドスタジアム北九州(略称=ミクスタ)にいた。役員のひとりだった。
「雑用の遊撃隊です。人の薄いところに行く」
 表現力もユーモアも持っている。

 この一戦のため、小田は自腹で赤の<ウエルカムバックTシャツ>を作ってアイリッシュバーの店員に着てもらった。
「コーチたちが毎日来てくれて、毎回、ビール100杯を飲んだと聞きました」
 ささやかな経済効果にも力を貸す。「べろんべろん」という表現を使う小田もまた酒徒に違いない。

 神戸での第2戦は7月12日にあった。その6日後、小田は50歳になった。
「自分の予想より10年早くウエールズ戦が北九州に来て、結実しちゃった」
 誕生日のお祝いは夢の実現である。

 北九州とウエールズのつながりができたのは10年前くらいからになる。
「キャンプ地に決まったのは2016年の11月でした。来るとは思っていなかった」
 活動のひとつとして、小田はその前年のW杯イングランド大会を視察している。

 小田は説明する。
「北九州とウエールズには親和性がある」
 鉄鋼、合唱、ラグビーを挙げた。八幡製鉄所は1901年(明治34)に操業を始めた。ウエールズの鉄鋼は世界に名が通る。

 合唱は<うたのまち北九州市>の取り組みがある。ウエールズは試合前の『ランド・オブ・マイ・ファーザーズ』の大合唱に代表されるように、<歌の国>の異名をとる。

 ラグビーはその八幡製鉄が全国社会人大会で1950年(昭和25)から最多12回の優勝を成し遂げた。この大会はリーグワンの前身だ。現在は日本製鉄九州八幡という名で、チームは存続している。

 そういう背景もあり、W杯の公開練習では収容人数15300ほどのミクスタが人であふれかえった。この大会でウエールズは4位。全7試合を戦ったがそのうち3試合は同じ九州にある大分と熊本だった。移動の少なさはチームにとって追い風になった。

 翌2020年2月16日、北九州市とウエールズラグビー協会は<レジェンド協定>を結ぶ。
「その関係の火を消さない、ということです。市側には担当者がいます」
 その関係の先にウエールズ戦があった。

 夢がかなった小田は次のことを考える。
「ひとつは、北九州ウエールズカップを大きくしようか、という話をしています」
 このカップは協定締結の翌年から2月に男女の中3生を招待して開催。選手紹介や国歌斉唱、社会人選手による実況中継もある。

 この大会にウエールズの子供たちも招待する。国際色を打ち出してゆく。
「イージー、ということでした」
 ウエールズ戦に帯同する形でやってきた交流チームのメンバーに確認している。

 北九州ウエールズカップも含め、小田は少年少女たちのために色々な手を打っている。ラグビーマガジンの2024年6月号で明石尚之が『巻末インタビュー』で伝えている。5年前、コロナの時には中3生を対象に<中学ラグビーの花道>、2年前からは小6生を対象にした卒業試合を開催している。

 少年少女に優しい理由を小田は考える。
「小さい頃、活躍できなかったからかな。うまくいかない気持ちはわかります」
 競技開始は小1。中鶴少年ラグビークラブである。宗像高、広島修道大では主にFLだった。ただし、代表歴などはない。それでも自分はここにいる。ラグビーを続けていればいいことがある。それを伝えたい。

 小田の生業は保険の代理店である。北九州と宗像に2店舗を持つ<ウエル・アゲイン>の社長だ。ラグビーや北九州に対する使命感を磨いたのは、若手経営者の集まりである日本青年会議所(JC)だった。2012年には北九州のJCの理事長もつとめた。

「やりたいことと、やらなければいけないことは別、ということを学びました」
 小田にとって、やりたいことは<ウエールズを呼ぶ>、やらなければいけないことは<いい街にする>。その考えに従って生きる。

 ウエールズが来れば、人が集まる。飲み食いだけでもお金は落ちる。業者は潤う。そして、それは税収という形になる。豊かな財政は街の発展には不可欠だ。

 小田の信念を持った活動の広がりは、北九州においてウエールズ戦だけではない。先月、ミクスタでは女子の日本代表がスペイン代表と戦い、女子7人制の国内最高峰、太陽生命シリーズの第2戦が開かれた。

 小田はそれらで満足しない。
「やりよったな北九州、と言わしたい」
 これからもさらに前進あるのみ。その名のとおり、GO、GO、GO、である。

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