インタビューに答えるその表情からは、日々の充実ぶりがにじみ出ていた。ラグビーが楽しくて、好きでたまらない――そう全身で語っているようだった。
昨シーズンは主に21番を背負い、世界的名手ウィル・ゲニアからのバトンを受け継いで、試合を締めくくる役割を担った。出場時間が限られたシーズン後半については、悔しさをにじませつつも、人羅奎太郎は“その先”を見据えている。
これまでのラグビー経験が、どんな思考を育み、今の彼を形づくったのか。その足跡を辿ってみたい。
ゲームを変える“後半の切り札”
昨シーズンは主に後半からの出場が続いた。
「自分の強みはテンポを上げること。だから、試合の流れが停滞していたり、相手に勢いが傾きかけていたり、そんなときに“流れを変える存在”として役割を認識していました」
人羅が試合に入ると、アタックを加速させ、試合の流れを一変させる。
「ゲームを“作る”というより、テンポで勝負するタイプだと思っています。高校のときのラグビースタイルがそうだったこともあって、自然とそういう感覚が身についていったんだと思います」と自分のスタイルを分析する。
一方で、出場時間が限られるなかで感じた課題もあった。
「もっとゲームメイクできるような選手にならないといけない」
そう語る人羅は、“流れを変える”だけでなく、“流れを創る”選手へと進化していくことを、次なる目標に据えている。
昨シーズンは、後半戦になるとプレータイムは限られ、数分間の出場にとどまる試合も少なくなかった。「やりきれなかった」と悔しさをにじませながらも、その中でも自分の強みを発揮し、次への手応えを探し続けていた。
習慣は裏切らない。キャリアを支える、彼の“武器”
そんな人羅には大学を卒業してからの約3か月間、所属するチームが無く浪人生活を送っていた時期がある。
大学4年生――本来であればアピールの集大成となるはずの最終学年に、コロナ禍が襲った。トライアウトの機会もなければ、プレーを見せる場も限られていた。
あらゆる制約の中で、プロへの道は遠ざかっていくように見えた。
だが、彼は焦らなかった。なぜなら、やるべきことが決まっていたからだ。
「朝はジムでウエート、昼は気分転換も兼ねて警備のバイト、夕方は公園でスキル練習とフィットネス。ずっとその繰り返しでした。」
その日々は、誰に見られるわけでもなく、成果が保証されているわけでもない。それでも彼は、一日一日を“当たり前のように”積み重ねた。
習慣にすることが、彼の武器だった。
この“習慣化”の根っこは、高校時代に遡る。
「(東海大仰星の)1年生のとき、始発で朝練に行くと決めていたんです。でも一度だけ、“今日はやめとこう”ってサボったことがあって。それが、めちゃくちゃ後悔として残って。それ以来、“決めたことはやる”というのが、ずっと自分の軸になっています」
モチベーションには頼らない。感情の波に左右されない。
目指すゴールが決まっていれば、そこに辿り着く道はなんだっていい。だから、目の前の結果に一喜一憂はしない。
結果が出ないならまた別の道からチャレンジすればいい。全ての経験を糧にし、進んでいこうとする前向きさが人羅にはある。
そして迎えた、運命の一本の電話。内容は、参加していたコベルコ神戸スティーラーズのトライアウトについてだった。
結果は「不合格」。落胆の言葉を飲み込もうとしたそのとき、同じ電話の中で、ライナーズ入団の打診をされた。
当時神戸のアシスタントコーチで、翌シーズンから花園近鉄ライナーズのヘッドコーチに就任する予定だった水間良武氏からの誘いだった。
落選の知らせと、プロとしての新たなチャンス――まさに運命が動いた瞬間だった。
チャンスは準備をしている者しか掴めない。いや、準備をしていないものにはチャンスすら与えられないのかもしれない。
人羅にとって、習慣とは、運命を引き寄せるための最強の武器だった。
世界的名手に学んだ、“基礎”こそ最強の技術
世界的名手ウィル・ゲニアとともに過ごした4年間は、人羅奎太郎にとって特別な時間だった。
「驚いたのは、特別なことをしていないことでした」
毎日、誰よりも早くグラウンドに出て、基本のパスやキックを何度も繰り返す。
「難しいことは一切していない。でも、それを毎日やり続けるんです。僕が見ている限り、4年間ずっと変わらない。そこに一番衝撃を受けました」
プレーだけでなく、試合後のケア、コンディショニングなど、日々の積み重ねに一流の理由があると実感した。
その姿を間近で見て、人羅は気づく――「自分はまだまだできていない」。
そしてそんなレジェンドのことを「SH」ではなく「ウィル・ゲニア」というポジションだと表現する。
積み重ねられた日々の鍛錬、キャリアの中で蓄えられた経験や判断力。プレーを真似するだけでは到底追いつけない。だからこそ自分の武器を磨き、さらなる高見を目指す。
一流の背中を見て、自らを省みる。ともに過ごし4年間は技術だけではなく、在り方を学ぶ貴重な時間だった。
伝えることで、“自分”を磨く
グラウンド外でも、人羅はラグビーと向き合っている。小中学生のSHを対象にしたパーソナルレッスンなどの活動である。
「最初は正直、教えることに関心はなかったんです。でも、やってみたらすごく面白くて。教えることで自分の気づきも増えていきました」
どうすれば伝わるのか。同じ指導でも、選手の受け取り方によって成果が大きく違う。
「できなかった子が、できるようになる瞬間を見ると、自分のことより嬉しい。そう思えるのが新鮮でした」
コーチングを通して気づいたのは、自分自身のプレーの曖昧さだった。普段は感覚でやっている動きも、他人に伝えようとすることで初めて言語化され、整理されていく。
指導者として学び、プロ選手としても研ぎ澄まされていく日々。
“教える”ことが“学び”になる。そのことを、彼は今まさに実感している。
「好きだから、やれる」──それが、彼の生き方
人羅の話を聞いていると、どのエピソードにも共通して流れている言葉がある。それは、「好きだから、やれる」ということだ。
プロ契約を選んだ理由も、浪人生活を支えた習慣も、ゲニアから学んだ基礎の大切さも、そしてコーチングの楽しさも――。すべての原点にあるのは、ラグビーへの純粋な「好き」という気持ちだった。
「好きだから続けられる」――そこには情熱と、自分を律する芯の強さがある。
どんな状況でも、腐らず、ブレず、黙々と“今日やるべきこと”に向き合い続ける。その姿は、プロフェッショナルとしてのひとつの理想形なのかもしれない。
好きこそものの上手なれ。その積み重ねの先に、人羅奎太郎の新たなラグビー人生が拓けていく。