U20日本代表の大久保直弥HCをして、「誰が見てもジャパンになる素質がある」と言わしめる。
太田啓嵩(おおた・けいしゅう)。
近畿大学の2年生だ。
そのポテンシャルを、最初に披露したのは5月16日。
U20日本代表としてニュージーランド学生代表(NZU)と対戦、14番で先発して2トライを挙げた。
前半9分の先制トライは、バウンドした味方のロングパスを右タッチライン際で捕球、すぐさま奥へと蹴り込み自ら押さえた。
前半終了間際の2トライ目は、切れ味鋭いステップ一発で相手を置き去りに。
52-45での勝利に貢献した。
ファーストトライに繋がった裏へのキックは「自分の武器」としながら、手柄にはしない。
「(BKコーチの永山)淳さんから、NZUのWTBは上がりが早いので(裏のスペースが)空いているという分析をもらっていました。2トライ目も(佐藤)楓斗が良いボールを回してくれたので、自分は走るだけでした」
6月22日の関西大学春季トーナメント3位決定戦でも、キレキレのランを連発し3トライを奪う。
後半8分のトライは約80メートルを独走した。タックルを受けながら絶妙なボディバランスで倒れず、そのまま走り切った。
U20の活動を経て、「思いっきりいけるようになりました」と話す。
1年時は春に肩を脱臼、秋に復帰するも思うようなパフォーマンスを残せなかった。
「U20でやれるのか不安でしたが、自信に繋がりました」
広島県出身。183センチ、83キロと線は細いが、簡単に倒れない粘り腰はレスリングで身についた。
レスリングの国体選手だった父の影響で、幼稚園児の頃から広島レスリングクラブに入団。
1984年ロサンゼルス、1988年ソウルとオリンピックに2度出場した向井孝博コーチのもと、週4回のトレーニングでめきめき力を伸ばした。
小学3年時には全国大会(26キロ級)で優勝したこともある。
大阪に引っ越した4年時からもレスリングに打ち込むつもりだったが、「チームが弱くてやりがいながなくて…」。
一方で、堺ラグビースクールはさすがラグビーどころ大阪、レベルが高く刺激的だった。
ただ、中学に上がるとバスケに熱中する。ラグビースクールには籍を置きながら練習に参加しない日々が続いた。
再びラグビーの世界に戻ったのは、報徳学園の試合観戦がきっかけだった。
スクールの同級生だった福本耀に誘われる。U20でWTBのコンビを組んだ”相棒”と、同校への進学を決めた。
2年時にチームは花園で初の決勝進出を果たした(準優勝)。
太田はメンバー入りの当落線上で、花園の初戦(2回戦)以降はベンチで見守った。
「悔しい思いをしましたが、ジンゴくんたちが声をかけてくれて色々学べました」
ジンゴとは明大3年の竹之下仁吾。この春に日本代表に選ばれたFBだ。
高校、大学の先輩で同じく代表入りのウィンガー、植田和磨も目標とする選手の一人。
近大の神本健司監督いわく「報徳学園では植田よりも評価が高かったそうです」。
レスリングに限らず、体操や水泳など複数のスポーツで培われた身体能力の高さは一級品だ。
「身長もあってスピードがあります。良いボールが来れば、持ち味が出ます」
ただ、指揮官は「褒めることはあまりしない」という。
ポテンシャルの高さを期待しているからこそ、あえて厳しい言葉で伝える。
「甘やかしてはいけないので(笑)。植田はストイックにやり続けて代表にまでいきました。そういう意味で(太田は)まだ足りません」
自他共に認める課題は明確にフィジカル。苦手な増量にも励む。
「ご飯があまり食べれなくて…。回数を増やしたり、夜食を食べたりして、なんとか増やしています」
勝負の秋でもトライを量産したい。