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ケガで気づけた尊さ。中山二千翔[東洋大/FB・WTB]

2025.07.03

180センチ、81キロの中山二千翔。名前の二千翔には「2000年を羽ばたいてほしい」との願いが込められる(撮影:北川未藍)

「試合に出させてもらえることは、当たり前のことではありません」
 
 そう静かに語ったのは、東洋大2年の中山二千翔(にちか)。
 
 今季、関東大学交流大会Aグループで全5試合にフル出場した。
 50メートル走5.7秒の脚力を武器に、WTBでもFBでも駆け回った。

 2年目の春を終えたいま。試合に出られる喜びを、誰よりもかみ締めているーー。

 楕円球との出会いは3歳だ。地元・愛知の刈谷ラグビースクール、中学からは豊田ラグビースクールに通った。高校は親元を離れ、よりラグビーに打ち込める環境を選んだ。

 日本航空石川では1年時から花園ラグビー場の芝を踏み、最終学年時では切れ味鋭いランを評価されて高校日本代表に選出された。
 
 まさに順風満帆。誰もがそう感じるラグビー人生だったが、大学ルーキーイヤーでは思わぬ試練が待ち受けていた。
 
 入学当初から注目を浴びていたルーキーは、4月の東日本大学セブンズで早速、紺のジャージーを纏う。
 しかし、そこでハムストリングスを負傷。肉離れで1か月半ほど戦列を離れた。

 6月2日の筑波大との練習試合で実戦復帰し、同30日の関東ラグビー協会100周年記念試合では「7人制 大学交流戦」のリーグ戦選抜に1年生で唯一抜擢された。
 得意のランでトライを挙げ、確かな存在感を放つ。周囲からの期待は再び膨らんでいた。

 その歩みはしかし、またしても止まった。
 夏に入ってまもなく、左足の小指を骨折したのだ。
 
「これまで大きなケガをすることがなかったので、もどかしかったです。同期が(試合に)出ているのをスタンドから見て、早く自分も試合に出たかった」

 リハビリに励む間、同期は次々と公式戦デビューを果たす。先発を任される選手もいた。

 その姿をサイドから見つめ、「けがをしていなかったら、自分も試合に出ていたのかな」。そう考えることもあったという。

 それでも、心は折れなかった。

「復帰したとき、みんな以上に活躍したい」

 この思いが、いまの中山を形づくった。

 走ることができない日々に見直したのは、日頃の生活習慣だ。

「疲労を翌日に持ち越していたり、寝るのが遅かったり。規則正しい生活をできていなかったことが、ケガに繋がっていました」

 当たり前だと思っていた「グラウンドに立つ」ことの尊さ。日々の生活が、プレーに直結するという事実。
 それらに気づき、日々の行動を変えられた。

 以降はストレッチや睡眠など、競技者として当たり前のことを丁寧に。
 部が掲げる「凡事徹底」を体現した。

 ついに訪れた復帰の舞台は、12月1日のジュニア選手権。
 カテゴリー2昇格をかけた、日大との大事な一戦(入替戦)だった。

 そこで躍動できた。鋭いランで防御網を切り裂き、2トライをマーク。
 2週間後におこなわれた全国大学選手権初戦(3回戦)のメンバー入りも勝ち取った。

 そのままの勢いで乗り込んだこの春は、「どこかで(攻撃の)起点になるプレーをしたいと考えていました」。

 その言葉通り、選手権4連覇中の帝京大を相手に後半だけで2度のラインブレイクを決めた。
 鉄紺にとって欠かせないピースになりつつある。

「まずはケガをせず、謙虚に、周りの人への感謝も忘れずに。自分のプレーで勝利に導きたいと思っています」

 ボールを持ったら何かしてくれる。そう思われる選手でありたい。

 そのために、小さな積み重ねを怠らない。どんな瞬間も、すべてプレーに繋がるから。

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