茂野洸気(しげの・こうき)はラグビーにおける社員選手だった。
NTTドコモで部局のようなレッドハリケーンズ大阪に属した。チームの略称は「RH大阪」。茂野はWTBだった。170センチ、80キロの体躯から発する速さで勝負した。
その現役引退の発表が5月16日、なされた。36歳。最後は副将もつとめた。
36歳でも、余力は十分にある。先ごろのシーズンでは14戦中13試合に出場した。内訳は先発12、入替1。所属はリーグワンのディビジョン2(二部)である。
引退理由は2つ。体調と社業である。
「データーを見れば、一番いい時と比べてスピードが落ちています。ケガも多い。それに、仕事で業績を上げたい思いもあります」
茂野の黒く細い眼は幕末の志士のように鋭い。考え抜いた末の結論だった。
茂野は7月1日付でドコモCS関西への出向を解かれ、NTTドコモに復帰した。関西支社の企画総務部で働く。総務は企業の心臓である。社内外のあらゆる問題に対峙する。この部署を経験して、出世する人は多い。
会社には恩義がある。
「拾ってもらった感じです」
内定が出たのは大学4年の7月。ラグビー採用としては遅い。入社入部は2011年4月。チーム在籍は一筋14季に渡った。
その間、印象深かった試合を挙げる。
「キャプテンになって上がれました」
2018年から2季、主将をつとめた。その1季目、当時のトップリーグに再昇格する。トップチャレンジ(二部)を1位通過。入替戦でコカ・コーラを33-24で破る。
ホームでもある大阪のキンチョウスタジアムでの大きな声援も追い風になった。
「ほっとしました」
主将についたのは部内投票で最多得票だったからだ。人望もある。
このチームでは尊敬する人たちにも会った。そのひとりは王子拓也だ。7学年下である。
「年齢は関係ありません」
王子は3年前に退部退社して、今は母校の天理高で保健・体育の教員をしながら、ラグビー部のヘッドコーチについている。
主にSOだった王子のRH大阪における出場は1。茂野はそこに重きを置かない。
「モチベーションを保って、対戦チームの動きなどを積極的にやってくれたりしました」
王子の在籍は5季弱と短かったが、その無私の働きは茂野の胸を打った。
「レッドハリケーンズはすごく好きです。ひたむきで努力できる人が多い。成績的にトップではありません。だからこそ、足りない部分を努力で補おうとするのです」
茂野にとって、大阪でのラグビーと勤務はUターンだった。高大の7年間は島根、そして東京で過ごした。
競技を始めたのは小4。和歌山との県境で活動する岬ラグビースクールである。
「同級生や兄弟の影響ですね」
そのひとり、四至本侑城はバックローとしてクボタ(現・S東京ベイ)で活躍した。
茂野は三兄弟。2つ上の洋充も同じスクールに籍を置き、今は大阪府警に勤務する。2つ下の弟はトヨタVのSH、海人だ。
「弟がいたからここまでプレーできました。これからは気兼ねなく応援できます」
海人は日本代表キャップ16を得ている。
岬中ではスクールと二重登録する。
「田口瞳先生にお世話になりました」
女性の田口は顧問になってくれた。その存在がなければ、平日は競技ができていない。
「タッチフット中心で楽しかったです」
トライを獲る快感にひたりまくった。
高校は江の川を選んだ。
「誘ってもらえました」
当時の監督だった安藤哲治を敬愛する。
「目が効いて、生徒を見捨てない先生です」
安藤は社会科の教員。今はラグビー部の部長になった。茂野が卒業した2年後の2009年、校名が石見智翠館に変わった。
江の川では2年生からバックスリーで正選手になる。冬の全国大会は2回戦敗退。3年時は86回大会(2006年度)。國學院久我山に17-26。85回大会は東福岡に7-27だった。
江の川は島根にあり、故郷の大阪を離れ、寮生活を送る。この高校には感謝しかない。
「僕の芯になりました。自立できました」
食事、洗濯、掃除などの大変さ、やってもらえるありがたみを知る。
進路は2年生からずっと誘ってくれた拓大を選ぶ。本命校との話は途中からその雲行きが怪しくなった。
「それもあって、高校でラグビーはやめるつもりでしたが、干渉しない両親が、やった方がいい、とアドバイスをしてくれました」
その助言は正しかったことになる。
拓大では高校同様、バックスリーで1年からレギュラー。最終学年は主将についた。
「秋の公式戦は3年の時、インフルエンザで1試合に出なかっただけです」
大学選手権は2回出場で1回戦敗退。1年時の44回大会(2007年度)は帝京に19-52。46回大会は明大に12-19だった。
その高大を含め現役を引退する。9歳で始めたラグビーは27年続けたことになる。
「今は驚くほど悔いはありません」
入社して、結婚して、家族は4人になった。小4の長男、創太は大阪中央ラグビースクールで楕円球を追いかけている。
「楽しそうにやってくれています」
2年前から無償で指導員を始めた。
この5月には日本ラグビー協会が認定するA級コーチ資格を取りに行った。
「僕はラグビーで成長させてもらえました。恩返しができるよう携わってゆきたい」
引退しても、ラグビーとの縁は続いてゆく。余裕残しで社業に向き合う分、その成果も期待できる。楽しみなこれからである。