第11節、レッドハリケーンズ大阪との“大阪ダービー”での出来事だ。
ヤンマースタジアム長居に駆け付けたファンの多くは、目の前の活躍に心を奪われたに違いない。1試合3トライのハットトリック。メンバー外からの急遽出場、しかも前半途中からの出場で、江川剛人は鮮烈な印象を残した。
続く第12節、ホーム・花園で迎えた九州電力キューデンヴォルテクス戦でも、再び3トライ。2試合連続ハットトリックを成し遂げ、チームの後半戦の快進撃に拍車をかけた。
本人は「トライはあくまで結果」と控えめに語る。だが、その走りと決定力はファンの心を掴んで離さない。
一見すると、順風満帆なラグビー人生だ。桐蔭学園で全国大会準優勝、関西大学Aリーグの立命館で主力として活躍し、リーグワンへと進んだ。
だが、その道のりは決して平坦ではなかった。迷い、立ち止まり、諦めかけた時期がある。
【原点と転機】
江川剛人は、大阪で生まれ育った。
ラグビーを始めたのは、親の転勤で一時期暮らしていた神奈川で通っていた田園ラグビースクール。小学生から中学までは地元・大阪の吹田ラグビースクールでプレーを続け、強豪・桐蔭学園へと進学した。3年時には全国大会準優勝。12番として攻守にわたってチームを支えた。
だが、高校卒業後の進路は、いわゆる「ラグビーエリート」ではなかった。
江川には同じく桐蔭学園でプレーし、国立大学へと進学した3歳上の兄がいる。江川家の方針もあり、一般受験で関東の大学を目指していた。
「花園にも参考書を持って行ってました」
高校3年の冬、全国大会に出場しながら、大学入試にも向き合っていた。しかし第一志望には届かず、大阪に戻り、1年間の浪人生活を送った末に立命館大学へ進学することとなる。
浪人中は一切トレーニングをしていなかった。故に、入学当初はラグビー部に入るつもりはなかった。
ラグビーとは、もう縁がないかもしれない。そんな風に思っていた。
しかし、大学入学後、偶然の出会いが彼の運命を再びラグビーへと導く。
「身体を動かしたくて、大学の近くのジムに通ってたんです。そしたら、ラグビースクール時代の先輩に偶然再会して。それで『練習見に来いよ』って言われて、断れなくて行ったら…入部してました(笑)」
久々に触れたラグビー。最初の練習はきつかった。だが、それ以上に楽しかった。
「ボールを持って走るのが、やっぱり一番面白い。子どもの頃、ラグビーが楽しかった原点を思い出しました」
高校時代は優秀なランナーたちに囲まれ、自身は攻撃の起点になることに徹した。だが、大学で13番としてプレーし、再び“自分でボールを持って走る”機会を得たことで、プレーへの喜びが蘇った。
「なんか、戻ってきた感覚でした。ああ、自分はこういうラグビーが好きなんやなって」
ラグビーを辞めるつもりだった男が、再び走り出す。その原点には、「ボールを持って走るのが楽しい」というシンプルな感情があった――。
【ライナーズでの挑戦】
立命館大学では2回生からレギュラーに定着した。
やるなら、もっと上のレベルでやってみたい。そんな思いが芽生え始めた頃、ある先輩の言葉が心を動かす。
「晴斗さんに『リーグワンに行ける才能がある、だから頑張れよ』って言われて。リーグワンに行った先輩が言うなら、そうなのかって」
クボタスピアーズで活躍する木田晴斗である。
身近な存在からの言葉で、将来のキャリアの解像度が上がった。
そんなタイミングで、ライナーズから声が掛かる。迷う理由はなかった。
社員選手として、江川は花園近鉄ライナーズに入団。配属先は近鉄グループの鉄道部門。東花園駅で勤務しながら、選手としてのキャリアをスタートさせた。
今も駅のホームに立ち、案内業務をこなしている。
「駅で声をかけられたりしませんか?」と尋ねると、笑ってこう返ってきた。
「マスクもしてるんで、ほとんど気づかれません(笑)」
制服を着ていると意外と馴染むらしい。
プロ選手とは違い、社員選手には社員選手なりの現実がある。シーズン中でも、オフでも勤務がある。早朝から駅に立ち、そのまま練習に向かう日もある。
もちろん、大変なことばかりではない。職場からの応援が、確かに力になっている。
「職場の同僚や同期が試合を観に来てくれたり、この前のファン感謝祭にも来てくれたり。ありがたいですね」
そんな日々の中、江川はライナーズでのポジションを掴もうと奮闘していた。しかし、目の前には木村朋也、片岡涼亮ら、コンスタントにトライを奪える実力者たちが立ちはだかる。
「正直、あの2人を見て“このままじゃ無理やな”って思ったこともありました。でも、だからこそ“自分にしかない強み”を作らなあかんと思ったんです」
試合に出られない時間が続いた。それでも、「いつかチャンスが来る」と信じ、ハイボール、チェイス、ショートキック…細部のスキルを磨き続けた。
そして、その時が訪れる。
第11節、レッドハリケーンズ大阪戦。メンバー外だったはずの江川は、急遽リザーブ入りし、前半途中からピッチへと送り出された。
試合が終わってみれば、1試合3トライの大活躍。翌週のキューデンヴォルテクス戦でも、再び3トライ。
2試合連続のハットトリック――それは、準備を重ねてきた男に訪れた“必然”の瞬間だった。
「たまたま回ってきたボールを、普通にプレーしてトライになっただけです」
そう語る彼は、相変わらず控えめだ。だが、その裏にある努力は、決して“たまたま”ではない。
【自分にできることを、ただ黙々と】
結果としてのトライに注目が集まる中で、彼が貫いているのは、“チームの一員として、自分の役割を果たす”というシンプルな姿勢だ。
「試合に出るときは、“仕事しよう”って気持ちでいます。 自分に求められていることを、しっかりやりきるだけです」
過剰な自信もなければ、無理な野心もない。けれど、自分にできることをひたむきに磨き続ける誠実さが、彼の最大の武器だ。
目の前の1試合、1プレーに集中しながら、未来の姿も見据えている。
「まだシーズンの半分くらいしか出られてないんで、 もっと多くの試合に出て、チームにとって“欠かせない存在”になりたいと思ってます」
遠くを見すぎず、近くを怠らず。地に足のついた江川らしい未来の描き方だ。
代表への思いを問うと、「行けるなら行きたいですけど……」と照れたように笑う。周囲からは「ジャパンを目指せ」と声をかけられることもある。
だが、彼のスタンスは変わらない。
「自分にできることを頑張って、見てもらえるようにやるだけです」
遠回りしてきたからこそ、分かることがある。
一度離れかけたラグビーに戻り、再び夢中になれた今。江川剛人は、ただ黙々と走り続ける。