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【サクラフィフティーン PICK UP PLAYERS】自分にプレッシャーを。妹尾安南[SH/東京山九フェニックス]

2025.05.23

好きなアーティストはENHYPEN。推しはJAY(撮影:上野弘明)

 妹尾安南(せお・あなん)の生まれは「南」国の宮崎。出産前に母が病気を患ったこともあり、「安」全に過ごせるようにとの願いを込めてこの名が付いた。

 サッカー少女が楕円球にスイッチしたのは小学1年時だが、本人は当時をよく覚えていない。
 伝えられたのは、九共大で竹内柊平(現・浦安DR)と同期だった兄・多聞(たもん)の試合について行った時の話だ。

「はじめはグラウンドの端でサッカーをするつもりだったのですが、女子は1学年下の試合に出られるルールがあって、たまたま幼稚園生の部の人数が1人足りなかったので行ってこいと。そこで何回もトライして大活躍できた(笑)。それで明日から通うと言ったそうです」

 リトルジョンブルRFC、延岡JrRSを経て、高校は地元の延岡星雲を選んだ。同じ宮崎出身で3歳上
の元日本代表、黒木理帆に「女子とするのもいいけど男子のスピードでやれた方が楽しいかも」と助言されたからだ。

 その言葉通り、強みのテンポの速さはここで育った。
「男子のテンポが当たり前でやってきました。早く捌け!ってめちゃくちゃ言われていました」

 155センチと小柄な体躯で物怖じせずにコンタクトできるのも、男子部員たちのおかげだ。
「小学校から一緒の幼馴染もいたので、もはや女子として扱ってもらえませんでした(笑)。コンタクトでも遠慮なしにきてくれて。同期には恵まれました。いまでも帰省するたびに集まってくれるんです」

 福岡の日本経済大にはラグビー部の1期生として入学した。元日本代表の淵上宗志監督に「日本代表にする」と口説かれたからだ。
 そこでキャプテンを4年間務め、コロナウイルスに翻弄されながらもトークスキルや聞く力を体得できた。

「ハンドリングも成長しました。淵上さんが実演しながら教えてくれるのは大きかったです。キックとかもみんなで『ウマッ!』ってずっと言っていました」

 4年時にはキャップこそ得られなかったが代表活動に帯同。先輩SHの凄みに触れた。
「(津久井)萌さんもメグさん(阿部恵)も、安定してココという場所にパスを放れる。自分はそれができませんでした。指摘されてからは受け取った選手に毎回どうだったかを聞いて、もう少し前、もう少し上と、微調整しながら絶対にココに放る!と常に自分にプレッシャーかけています」

 代表活動で見つけた改善点は、国内大会で何度も試せた。それまでキックは得意としてこなかったが、東京山九フェニックスの首脳陣は加入1年目のルーキーに、積極的にハイパントや裏へのキックを挑戦する機会をくれた。

「テンポだけでなく、キックも使えるところをレスリー(マッケンジーHC)さんにアピールできたかな」

 初めてのW杯は「まだ実感が湧かない」と正直な思いを明かす。「目の前の合宿のことで頭がいっぱい」という。

 昨季はWXV前のイタリア戦で代表デビューを果たし、第一歩を踏み出した。アピールを続け、まずはテストマッチ経験を重ねたい。

(文/明石尚之)
※ラグビーマガジン6月号(4月23日発売)の「女子日本代表特集」を再編集し掲載。掲載情報は4月15日時点。

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