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【ラグリパWest】黄金世代のひとりとして。日名子千里 [株式会社ひなご/代表取締役]

2025.05.23

株式会社「ひなご」を2019年に設立、不動産投資の世界において6期目で年商500億円を目指す日名子千里代表。東福岡、関西学院大でトップのラグビーを経験した。東京・中央区の茅場町にあるオフィスからは東京駅のビル群が見渡せる

 日名子千里(ひなご・せんり)はラグビーの黄金世代のひとりである。

 生まれは1992年。同じ33歳には東京SGの流大やチームメイトの松島幸太朗、医学生の福岡堅樹もいる。日本代表キャップは順にSH=36、FB=55、WTB=38だ。

 日名子はキャップこそ持っていないが、その活躍は代表級である。不動産投資の会社、「ひなご」を代表取締役として立ち上げ、6期目で年商500億円に達する勢いだ。

 ぱっと見は飲み込まれる感じもする。そりゃあ、年若く海千山千の業界でやってきたんだもの、当たり前。でも、下あごは丸く、細く黒い眼は優しい輝きを放っている。

 日名子の起業は2019年の10月である。
「みんなすごいなあ、と思いました。昔から知っているゆたか(流)なんかが頑張っていました」
 流らに触発された。起業の時期、この国ではワールドカップがあった。小学校の頃、試合をした。流は福岡のりんどうヤングラガーズ、日名子は大分ラグビースクールだった。

 日名子の競技歴は高い。WTBとして東福岡から関西学院に進んだ。現役時代の体格は168センチ、82キロ。高3時は冬の全国で頂点に立つ。90回大会(2010年度)の決勝戦は31-31。松島がエースだった桐蔭学園と両校優勝となった。

 東福岡は前の89回、翌91回大会を含め3連覇を成し遂げる。戦後歴代2位の記録になった。日名子は愛称「ヒガシ」が敵なしだった時代に籍を置いた。

 高3時、日名子は自身の達成を知る。秋の福岡の予選決勝から振り返る。
「出ていません」
 全国大会までは1か月少々だった。
「親に、真剣にやったら、と言われました」
 自ら3部練を課す。放課後の練習のみならず、朝も昼もウエイトトレなどをやった。

 その力強い走りが評価され、逆転で25人のメンバー入り。4強戦、42-7とした関西学院戦は先発、決勝の桐蔭学園戦は背番号24のリザーブだった。

 コーチの藤田雄一郎と宿舎のエレベーターで一緒になった。声をかけられた。
 「大事な場面で出られるような選手になれ」
 奮闘を認めた上で、さらなる成長を促された。監督だった谷崎重幸にも感謝している。
「使ってもらえたのは谷崎先生のおかげです」
 藤田は監督になり、谷崎は新潟食糧農業大のラグビー部の監督をつとめている。

 首脳陣のすすめもあった関西学院では、最終学年の4年時、関西リーグで1試合の出場記録が残る。10月12日の摂南大戦にWTBで先発。61-24の勝利に貢献した。その年は関西を制覇する。

 日名子は笑う。
「高校で頑張り過ぎて、大学では頑張らなくなりました」
 高大で努力も怠惰も知る。関西学院は学生主体。個人の向き合い方で差がつく。

 現監督の小樋山樹(しげる)は日名子の新入時の4年生。SOやFBをこなした。
「ヒガシから元気な選手が入ってきました。可愛げがあって、人から好かれました」
 活きのよさは人を引きつける。ビジネスの世界にゆく資質は備わっていた。

 その競技は幼稚園の年中、5歳から始めた。6歳上の兄・元気に続いた。城東中では大分ブラックスジュニアに移った。
「県外に出たかったのです」
 東福岡を選んだ理由を話す。

 ラグビーと並行して、小4から中学卒業まではサッカーもやった。カティオーラFCのコーチだった佐藤考範にはよく言われた。
「つらいことがあっても逃げない」
 トリニータユースに入る選択肢もあった。
「ラグビーの方が格好いいと思いました」
 個人的な思いを優先する。

 中学時代、数学教員だった吉岡貴子との出会いもある。体育祭の応援団長についたが、帽子を忘れる。下級生に借りた。親が忘れものとして届け、そのことが知られる。
「人の上に立つ人間がそんなことをしたらダメ。堂々と、忘れた、と言いなさい」
 大げさに書けば帝王学を教えられる。

 佐藤と吉岡の教えも溶け合わせて、日名子は6年前に「ひなご」を立ち上げた。大学卒業から事業を展開するまでは不動産系の2社に勤めた。東京で開業した訳がある。
「規模も金額も大きい。面白いと思いました」

 ひなごの不動産投資は東京23区内の物件に限定している。
「基本的に値崩れしません」
 顧客が売却する時のことを考える。オフィスはその23区内、中央区の茅場町にある。新築ビルの最上、12階にある。従業員は2つのグループ会社を合わせて約100人だ。

 数多い物件のひとつに新築マンション1棟がある。大田区の池上にあり、地下を含め5階建て。エレベーターつき。1LDKの14部屋が入る。価格は3億7400万円だ。

 その事業運営には日名子が青春をかけたラグビーのよさが色濃く映る。
「まっとうにやらせてもらっています」
 ルールは破らない。仕事を発注した建築会社が倒産した時もその後始末をした。
「かぶったのは1億、いや2億、3億かなあ」
 顧客の立場で判断する。

 日名子は、利を見て、義を思う。
「たまたま、僕はお金を稼ぐ能力があって、こうなっています。でもまっとうなことをしていなければ、もっともうけています」
 誰にも恥じない、その生き方はラグビーを含め縁のあった人々に磨いてもらった。

 目標は<資産1兆円>に置く。
「達成している若い人はいません。それに、それだけあれば、今までお世話になった方々や仲間にいっぱい恩返しができます」
 たとえばリーグワンチームのオーナーにもなれる。ディビジョン1(一部)の年間運営費は20億円が基準だ。

 日名子は世のため、人のため、進んでゆく。そのかたわらには楕円球がある。

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