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【ラグリパWest】盛況のこと。ゴールデンウィーク集中ゲーム [天理高校ラグビー部]

2025.05.19

天理高ラグビー部が主催する「ゴールデンウィーク集中ゲーム」は今年も大型連休中の5月3日から3日間、開催された。合同含め26チームが参加して、これまでで最多の69試合が行われた。写真は5日の天理高対常翔学園。24-14と勝利した天理高は黒のジャージーを着用

 奈良の天理は盛況に沸いた。

 天理高校のラグビー部が主催する「ゴールデンウィーク集中ゲーム」が、大型連休中の5月3日から3日間、開催された。

 26チームが集まり、試合の総数は69。監督の松隈孝照はチョコレート色に日焼けした中にある黒目を丸くした。
「びっくりしました」
 チーム数は最多タイ。冬の全国優勝校である大阪の常翔学園、愛知の西陵、遠くは長崎南山、長野の松本国際もやって来る。

 69試合は最多である。
「選手だけで1000人は来ています」
 松隈の言葉は弾む。その消化のために、校内の3つのグラウンドが使われた。メインは練習で使う人工芝。そして、北と西の土のグラウンドである。3日間フルでこの3つが使われたのも初めてだった。

 北は女子ソフトボール、西はサッカーが普段使用する。2つのクラブは遠征に出てくれた。ヘッドコーチの王子拓也は話す。
「使えなかったら、はまっていません」
 協力姿勢がある。松隈は謝辞を送る。
「ありがとうございます」
 松隈と王子はラグビー部OBで保健・体育の教員でもある。年齢は53と30だ。

 この天理の街ではラグビーは柔道とともに「真柱(しんばしら)のスポーツ」として通る。真柱は高校や大学の芯になる天理教を統理する。二代目の中山正善(しょうぜん)は柔道をやり、ラグビーに触れ、旧制中学には白、外語学校には黒のジャージーを下げ渡した。今の高校と大学の前身である。

 ラグビー部はその1925年(大正14)を創部年とする。今年、100周年を迎えた。現在、リーグワンで活躍する高大のOBには立川理道がいる。S東京ベイのCTB。日本代表キャップは62を積み上げる。

 天理教は神道系であり、その起源は江戸末期の1838年(天保9)にさかのぼる。人々が心を澄まし、仲良く助け合いながら暮らす<陽気ぐらし>の世界の実現に励む。

 天理の市内には教会本部があり、そこには信仰の中心、聖地<ぢば>がある。親神・天理王命(おやがみ・てんりおうのみこと)が鎮まっている。この地は、人間創造の原点であり、すべての人間の故郷とされている。

 松隈はその宗教と集中ゲームを重ねる。
「来る人を喜ばせて返す。天理はそういうところです」
 天理教では聖地巡礼を「おぢばがえり」という。信者は全世界からやって来る。泊りは信者用の宿舎<詰所>である。

 天理教は真柱のスポーツとしてラグビーを庇護してきた。戦後、海外から遠征してきたチームはその詰所に泊まり、すき焼きなどに舌鼓を打った。観光に地元の奈良や京都も訪れた。教団は相当な持ち出しをする。当時の協会は財源に乏しかった。今も高校日本代表などの合宿があるのはその名残でもある。

 その流れをくむ集中ゲームに対して、西村康平には感謝がある。
「めっちゃありがたいです」
 監督として率いる布施工科・東大阪みらい工科は3、5日の参加になったが、Aチーム(一軍)は広島工・安芸南の合同と、Bチーム(二軍)は光泉と対戦した。

 その試合組みを王子は振り返る。
「2週間くらいかかりました」
 各チームの来訪と帰りの時間、参加するグレード数、実績を調べ、コーチの寺田信吉とあてはめてゆく。1試合は前後半制で各25分。より公式戦に近い形で行われた。

 部員たちはグラウンド整備やボールボーイ、担架要員などをつとめる。69試合を吹くレフリーは関西ラグビー協会がB級レフリーの研修会として集めてくれた。
「こちらで探さなくてもよかったです」
 王子には協会へ謝意を向ける。

 この集中試合は1979年(昭和54)に始まった。46年前だ。コロナで2年、飛んだことはあったが、年1回、開かれてきた。最初は2チーム。天理と花園(京都)だった。

 この1970年代、両校は全国のトップだった。冬の全国で天理は準優勝と優勝(50回大会=1971年、51回大会)。花園は52、54、56回の大会で準優勝をしている。

 松隈の入学は1988年。翌年、左WTBの正選手になる。現役時代に思いは飛ぶ。
「2年の時は集中ゲームで花園と3試合をして、全部負けました」
 その7か月後にあった全国大会は69回。準決勝では成長を示し、その花園に6-6と引き分ける。抽選で決勝に進んだ。

 決勝では啓光学園(現・常翔啓光)を14-4で降す。当時、トライは4点だった。これは天理の6回目優勝、今では歴代4位タイの記録になる。以後、優勝はない。

 王子も集中ゲームの思い出がある。
「テビタとアタアタが来ていました」
 目黒学院が東京から来征。トンガ人留学生がいた。テビタ・タタフはバックローとして仏のボルドー、アタアタ・モエアキオラはWTBとして神戸Sに在籍する。日本代表キャップはそれぞれ20と4を持っている。

 その46年の集中ゲームをくぐり抜け、今年の選手の総数は112人。過去最高になった。1年生は選手として37人が入部した。その部員増と盛会に呼応するように、5日は高校生のリクルートに帝京、法政、天理、関西学院、IPU・環太平洋などの大学から監督や採用担当がグラウンドに姿を見せた。

 集中ゲームの最後のAチームの試合は天理と常翔学園だった。天理はモールを押し込んで、24-14で勝利する。5か月ほど前、66回目の出場となった104回全国大会の3回戦では10-17で敗れている。

 借りを返したことよりも、松隈には大きなことがある。
「重傷事故がなくてよかったです」
 安全性を担保することはラグビー指導者にとって最大のテーマになる。今回も無事にホスト役をつとめあげられた。それはまた、47回目の集中ゲームにつながってゆく。

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