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ブラックラムズのマイケル・ストーバーグ、日本代表入りのチャンスは「全力で奪いに行く」

2025.03.10

奮闘するマイケル・ストーバーグ[BR東京]©︎JRLO

 最初のハイライトを作った。

 3月1日、東京・秩父宮ラグビー場。リコーブラックラムズ東京のマイケル・ストーバーグが、国内リーグワン1部・第10節のキックオフを迎える。

 自軍ボールの飛ぶ先へ猛然とチェイス。身長204センチ、体重114キロの大きなFLが、右奥の空間へ滑らかに駆け上がる。

 味方がキックした球は、対する三菱重工相模原ダイナボアーズのカート=リー・アレンゼに渡る。南アフリカ代表24キャップのFBがキャッチし、蹴り返したボールへ、ストーバーグが手を伸ばす。はたき落とす。

「最初からプレッシャーをかけたかった。きょうは、本当にプレーしに来ているんだと見せつけたかった」

 得意技で立ち上がりの勢いを生み、前半は22-0と先行できた。得点機以外にも多くのチャンスを作った。

 その呼び水となったのも、6番のストーバーグだった。

 SHでゲーム主将のTJ・ペレナラによるハイパントを追いかけ、捕球役を羽交い絞めにした。チームを好位置でプレーさせるのを支えた。

 それは、課題を改善した結果でもあった。

 というのも、戦前まで12チーム中10位と沈むチームにあって、前節までに「残念だった点のひとつ」が自分たちで蹴り込んだ後の防御だと感じていた。

 そのため、「キックが上がったら、そこへバックロー(FLなどFW第3列)、WTBでしっかり(圧をかけに)行こうと話していました」。意識の変化をフィールドで証明したわけだ。
 
 ハーフタイム以後は何度も守勢に回りながら、奮闘した。

 巨躯をかがめて地上の接点に絡んだり、状況を見定めて防御ラインに入ったり。

 20分。自陣ゴール前右で、同じFLのリアム・ギルとともに孤立した走者へスティールを繰り出した。ペナルティーキックを獲得した。

 実は最近、日本代表のエディー・ジョーンズヘッドコーチやニール・ハットリーコーチングコーディネーターと会う機会があった。自身についてヒアリングしたら、こう指摘されていた。

「6番としてプレーするためには、ディフェンスのブレイクダウンでよりアグレッシブに。スティールに行くか、行かないかの判断もまた(磨いてほしい)」

 アドバイスをもとにパフォーマンスを見直したことで、ダイナボアーズ戦でファインプレーができた。

 ゲームは22-7で制し、チームは9位に浮上。個人的に視野に入れるのは、代表初選出だ。

 2016年に母国オーストラリアから来日し、現花園近鉄ライナーズでキャリアを積んできた。所定の連続居住年数をパスして日本代表の資格を得ようとするも、実現できなかった。‘20年以降のウイルス禍などのためだ。

 ‘22年にスタートのリーグワンでは、長らく「カテゴリB」に区分された。

 ‘21年よりブラックラムズに活躍の場を移していたが、他の海外選手と限られた出場枠を争うほかなかった。

 しかし昨年、統括団体のワールドラグビーが代表資格に関する規約を変えた。

 当該協会での登録が5年以上となれば、その選手はルーツを持たない国でも代表を目指せるようになった。おかげでストーバーグは32歳にして、日本代表の有資格者となった。

 リーグワンのレギュレーションも、ワールドラグビーの指針に倣った。果たしてストーバーグは、今季から「カテゴリA」に遇されるようになった。自ずと出番を増やしている。

「あと少しで日本代表になれる…といったところでそれが叶わなかったものの、またそのチャンスが近づいてきた。私は日本が大好き。2人の子どもも日本で生まれています。日本を代表できることは、非常に光栄なことです。もし機会が訪れたら、それを全力で奪いに行きます」

 ‘27年のワールドカップは母国で開かれる。そう水を向けられ、即答した。

「ホームカントリーでワールドカップに出られることは夢。しかし、あまり先のことを考えられないことがラグビーの面白さ。まずは『今週』。1試合、1試合、どれだけいい働きができるかを考えます。そうすれば、未来は勝手についてくる」

 いまを生き続ける流れで、目標を達成する。

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