ラグビーリパブリック

【コラム】続けていくということ。

2025.02.04

この1年で作ったラグビーマガジンの表紙。どれも思い出深いものばかり

 これまで生きてきた中で、これほど早く過ぎた1年はなかったと思う。

 2024年の1月、突然ラグビーマガジンの編集長を引き継ぐことになった。48歳にして初の会社勤め。新しくもらった名刺が、自分のものなのに自分のものではないように感じた。覚えることが多すぎてしばらくは目の前の用事をこなすだけで精一杯だった。

 春。全国高校選抜大会が熊谷で開催され、大学の春季大会が始まった。5月末には東芝ブレイブルーパス東京がリーグワン初優勝を遂げる。6月からは日本代表の活動もスタートした。

 もっともきつかったのは、この頃だったかもしれない。約3か月、全力で走り続けて、身体的にも精神的にも疲れが溜まっていたのだと思う。編集部内の人の入れ替わりもあった。下半期に控える大学、リーグワンの写真名鑑や花園ガイドの作成をプレッシャーに感じてもいた。

 ただ、夏に入り、15年以上前から携わってきたミニラグビーのイベント「SEINANラグビーマガジンカップ」で古くからの知人や恩人に久しぶりに会い、無事大会を終えたあたりから、少しずつ自分の仕事を自分のこととして見つめられるようになった。新しい体制での編集部が回り始め、8月に最初の関門である大学写真名鑑を作り上げて「なんとかなる」という手ごたえをつかめたのも大きかった。

 9月。大学ラグビーの秋の公式戦が始まり、花園予選が各地でスタートしてからは、日々の過ぎるスピードが一段と早くなった。毎週末の試合を基点に取材スケジュールを組み、合間の日に誌面作りを進める。11月から12月にかけては、リーグワン写真名鑑や花園ガイドの付録、さらにはリーグワンポケット名鑑に大学選手権のプログラムも作った。まさに目の回るような忙しさで、まだ3か月前のことなのに、どうやって毎日を過ごしていたのかあまり記憶にない。

 年末年始は大学選手権と花園に加えリーグワンも開幕し、文字通りラグビー一色の日々を送った。大会、試合が重なるため、この月のラグビーマガジンはページ数も大幅に増える。さばききれるか心配だったが、なんとか本を出すことができてホッとした。

 というような調子で編集長としての1年目が終わり、2度目となる4月号の作成に取りかかり始めたところで、この原稿を書いている。あらためて振り返ると、時が過ぎるのは本当に早いとつくづく思う。とにかく乗り切ることができてよかった、というのが正直な実感だ。

 もちろんその間には数えきれないほど失敗をしたし、やるべきことをできなかったこともたくさんあった。たくさんの方々に迷惑をかけ、不義理をし、そのたびにいろいろな方に助けてもらった。右も左もわからない自分をことあるごとに支え助けてくれた編集部の情熱あふれるスタッフたちには、いくら感謝してもしきれない。人の縁を、これほどありがたいと感じる1年はなかった。

 そして今、2年目の第1歩を踏み出すにあたって思うのは、やはりこれからも、目の前のことに全力で取り組む日々を重ねていくしかない、ということだ。

 ひとつの課題をクリアすることで、その先の視界が広がるような感覚を味わうことが、この1年で何度もあった。積み重なる課題がいっぺんに解決されることなどありえない。今できること、すべきことに向き合い、丁寧に仕事を進める。その繰り返しこそが、前に進んでいくための唯一の方法なのだと思う。

 1月上旬。埼玉パナソニックワイルドナイツのロビー・ディーンズ監督にインタビューした際、こんな話を聞いた。

「状況とは常に、人々が思っているほどよくもなければ、人々が思っているほど悪くもありません。いつもその間にあります。そして我々にできるのは、続けていくことだけです」

 はるか先まで見通しているようなロビーさんでさえそうなんだ、となんだか安心した。

 とはいえ、同じことを続けるばかりでは新しいものは生まれない。現状維持は衰退の始まりだ。ラグビーマガジンおよびラグビーリパブリックを楽しみにしてくださる読者のため、なにより日本ラグビーの発展のために、よりよいものにしていく努力を追求していかなければならないと強く思う。

 2年目で余裕ができたというわけではありませんが、今季はより充実したラグビーマガジンにすべく、誌面のリニューアルを進めていきたいと考えています。その第1弾として、3月発売の5月号では付録に全国高校選抜大会ガイドをつける予定です。初めての試みで、現在そのための準備を鋭意進めています。どうぞお楽しみに。

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