檜山蒼介は、いかにも運動神経のよさそうな走り方をしている。
その仮説をぶつけられ、「僕も、最初に見た時にそう思ったんです」と頷いたのは田中春助。尾道高の監督としてスカウトし、指導した教え子の体幹のぶれないランを指して語る。
檜山本人は謙遜する。
「小さい頃から色んなスポーツが好きではありましたが、太っていましたし、そこまで運動神経がいいほうではなかったかな…とは思います」
ボディバランスのよい走りに自信をつけたのは、2022年度の高校日本代表遠征とその候補合宿に絡んでからだという。現地で里大輔氏のスピードトレーニングを受け、一皮むける実感があった。
’23年には明大に入った。全国有数の名門にあって、同じ左PRの位置にいた床田淳貴(現日野レッドドルフィンズ)、中山律希(現静岡ブルーレヴズ)という「偉大」な4年生に食らいついた。
スクラム練習では、控え組に入ることが多かった。対面には、主力組の右PRである為房慶次朗がいた。やがてクボタスピアーズ船橋・東京ベイへ入り、まもなくジャパン入りする実力者である。
このスクラメイジャーへのチャレンジは、かなりタフだったと檜山は言う。
「岩ですね。本当に。…苦しい思いをしながら、ちょっとずつ成長できました。日本代表になる人とたった1年間でも組めたことは、自分のいい経験になっていて、多少なりともいまに繋がっています」
高い壁に挑み続けたおかげか、3人が卒業した’24年度にはチームのレギュラーとなった。スクラム、突進と様々に存在感を示した。身長176センチ、体重106キロの体躯で駆け回った。
1月2日、東京・国立競技場。大学選手権の準決勝で、結果的に優勝する帝京大に26-34で惜敗した。
この午後は前半、自ら作ったラックで相手に絡まれ、ボールを手から離せないことがあった。もっともハーフタイム以降は、地面に球の置く際の速さ、腕の伸ばし方を修正。「普段の練習から詳細にこだわろうと話していた。それが(成果として)出た」と、普段の意識づけについて語った。身体能力のみに依存せず、基本を重んじる。
もともと不得手だったというタックルも、大学の杉本晃一コーチの教えで技術的に改善した。
「入る時のインパクトの出し方、相手へのバインド、足の運び…。細かいことを教えていただきました。小さい積み重ねが(実戦に)出ているのかなと思います」
今季の20歳以下日本代表へはコンディションの都合上不参加も、その実力は多くの関係者が認めるところだった。このほど、2月から始動するジャパンタレントスコッドに名を連ねた。日本代表の首脳陣がトレーニング、海外遠征を通し、国際舞台に臨むマインドセットを植え付ける試みである。
当の本人はかねて、代表入りを目指すと誓ってきた。共働きの両親が学費を支払ってくれることを「負担しかかけていない」とし、こう言葉を選んでいた。
「ラグビー一筋でやってきたので、日本代表に選ばれて少しでも親に恩返しができるように…」
チームメイトの同期では、WTBの海老澤琥珀が日本代表の練習生となったことがある。早大の同学年にあたるFBの矢崎由高は、すでにキャップを掴んでいる。
檜山は「さすがという尊敬との気持ちがあると同時に、もっと頑張らなきゃ、とも」。常に高いレベルを見据える。