キックでエリアを獲得するのが鉄則のサクラフィフティーンにあって、必要不可欠な存在だ。
今釘小町。
貴重なレフティーとして、大きな役割を担う。効果的なロングキックやグラバーキックを使い
分け、裏のスペースを狙う。
「練習後の自主練では、バックスリーのみんなでキャッチとキックをずっと繰り返しています」
中学時代からキッカーを担っていたが、当時は上手くなかったという。目に見えて成長したのは、15
人制の試合機会もある石見智翠館に入学してからだ。
菅原悠佑コーチ(現・アルカス熊谷ユースHC)に一から教わった。
「まずはしっかりポジショニングをして、空いているスペースをスキャンする。キックは足だけにならず、しっかり体を使って蹴るというのを教わりました」
今春、立正大を卒業したばかりの22歳。2年前のW杯には全試合に先発し(1トライ)、すでに29キャップを重ねるこの世代のエリートだ。
初めて女子日本代表に招集されたのは高校3年時、チーム内で唯一の高校生だった。
「自分の中では難しいポジションだった」と話すも、ハンドリングスキルやパス精度の高さも買われ、本職でないSOを任される時期もあった(現在も軸はWTBだが練習ではSOにも入る)。
その器用さとアジリティの高さは、幼少期の運動経験で培われた。
「特に何かを習っていたということではないのですが、学校の休み時間とかには男子に混ざってボールを触って、キックして、走ってというのをずっとやっていました」
今釘の育った京都はタグラグビーが盛ん。通った音羽小でもチームが組まれ、そこで頭角を現した。「試合前に歌ったり、試合中にミスをしたらでんぐり返りをするとか、変なチームで目立っていたんです(笑)。そこで少しトライを取る機会が多かっただけ」と謙遜する。
が、他校の先生からも中学での競技継続をお願いされるほど目立っていたという。
音羽中では男子の練習に混ざりながら、土日は女子ラグビーチームの京都ジョイナスに在籍。同級生のPR小牧日菜多(東京山九フェニックス)とは中学、高校のチームメイトだった。
「(京都ジョイナスでは)記虎(那峰)先生がすごく厳しくて、ミスしたらとにかく走っていました」
ここで養った基礎体力が、先のWXVで光る。キックチェイスのたびに快足を飛ばし、幾度もチャンスを演出した。
「ボールを持っていないときの仕事はかなり意識しています。自分が一番にチェイスして、相手にプレッシャーをかけないといけないと思っています」
格上相手でも通用する武器を確認できた一方で、満足はしていない。
「WTBというポジションなので、やっぱり外でボールをもらってランで勝負できるようになりたいです」
2度目のW杯まで残り9か月。スキのない選手になる。
(文/明石尚之)
※ラグビーマガジン1月号(11月25日発売)の「女子日本代表特集」を再編集し掲載。掲載情報は11月18日時点。