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【ラグリパWest】学生のため、ラグビーのため。山本隼年 [流通科学大学/人間社会学部/准教授]

2024.12.23

神戸市にある流通科学大学の准教授として学生に接しながら、レッドハリケーンズ大阪のデータサイエンテイストをつとめる山本隼年さん。トレーニングやケガのデーターから関連性を見出し、チーム強化に一役買う。手にするのは作成した論文。右のケースに入った色紙はこの大学を作った中内㓛さんの座右の銘<ネアカ のびのび へこたれず>

 山本隼年(はやと)が胸に秘めるのは、学生のため、ラグビーのため、である。

 42歳。流通科学大の准教授である。空き時間でリーグワン二部、レッドハリケーンズ大阪、略称<RH大阪>のスタッフをつとめる。

 この私大は神戸市の西区にある。地下鉄の学園都市駅を北に5分ほど歩けばキャンパスに突き当たる。短縮形は<流科大>。関東の流通経済大との関係はない。

 山本は流科大を説明する。
「1学年900人くらいなので、3600人ほどの学生がいます。中規模の大学ですね」
 創立は1988年。大手流通、ダイエーグループの総帥だった中内㓛(いさお)によって作られた。4年後に40周年を迎える。

 ニュータウンの中にあるだけに、建物は明るく、清潔だ。地域にも開かれている。
「散歩ができます。校門はありません」
 山本は整った顔を緩ませる。眼や口が下降する。若い人たちを委縮させない。

 山本は3つある学部のうち、人間社会に籍を置く。90分の講義を週8コマ持っている。
「私のいる学科、人間健康にはトレーナーやコーチになりたい学生がたくさんいます」
 ラグビーをはじめスポーツごとのパフォーマンスを分析したり、トレーニングを科学的に論じたりしている。

 ここでの科学を山本は定義する。
「科学とは、論文になっている、結果が出ている、ということですね」
 いわゆるエビデンス(裏づけ)があるものを使いながら学生を教える。経験から来る<なんとなく>は排除されている。

 この大学にもラグビー部はある。山本は選手経験こそないが顧問をつとめている。男子は2人。合同チームで三部にあたる関西Cリーグに参加している。女子はひとりだ。

 山本の出身は野球である。島根の県立高校を卒業後、大阪の2つの専門学校でアスレチックトレーナーと鍼灸師の資格を取った。
「トレーナーは選手の体を触ります。治療的な見解がそこに加わればいいと思いました」
 最終的には同志社大の大学院を出て、スポーツ健康科学の分野で博士号を得た。流科大に着任したのは2021年の4月である。

 年を同じくしてRH大阪は山本を<データサイエンティスト>の役職につけた。
「簡単に言えば、選手にとって効果的で、障害予防にもなるトレーニングを考えます」
 GPSなどから得たトレーニングのデーターにケガの発生から復帰までのデーターを重ね合わせ、分析し、関連性を導き出す。

 集まるデーターは膨大な数に上る。そして、その作業は地味で時間がかかる。
「こういう活動も大学には認めてもらっています。ありがたいことです」
 得られた分析や関連性は学生たちにも落とし込める。大学にも利がある。

 山本がラグビーと関りを持つのは2013年の4月からである。RH大阪の前身、NTTドコモで体調を整えるコンディショニングのコーチについた。
「知人の紹介でした」
 それまでサッカーやバスケのトレーナーやコーチとして経験を積んだ。

「ラグビーは一番やりがいがあります。野球やゴルフはスキルのスポーツだと思います。脚が速いとか重いものを持ち上げるのはあまり関係がない。でもラグビーは体力をつけることがパフォーマンスに直結します」

 RH大阪との雇用関係は基本的に1年ごとの更新にも関わらず2013年以来、離任したことはない。同志社大での博士号もここで働きながら得た。山本の人間性のよさ、技術の確かさ、そして勤勉さを物語る。

 NTTドコモとして最後のトップリーグを戦った2021年、SHのTJ・ペレナラの加入などもあり、4チーム並びながらチーム最高の5位に入った。この年はコロナの影響で変則日程だった。当時、山本はヘッドのストレングス&コンディショニング(S&C)のコーチだった。上位者として選手の体力増進や体調管理に責任を持っている。

 その山本の能力は依然として現場からも必要とされている。今年2月から8月末までは女子7人制日本代表、いわゆる「女子セブンズ」のS&Cコーチを任された。山本はパリ五輪に参加。3勝2敗と参加3大会でチーム最高の9位に入る一助になった。

 パリ五輪では前任者とチームに食い違いができ、山本に打診が来た。チームドクターだった田中誠人は恩を感じる。
「あの時は急きょだったのに、山本さんが来てくれて、助かりました」
 田中は整形外科医であり、大阪大でラグビーを始めた。現在は第二大阪けいさつ病院に勤務しており、肩の権威でもある。

「いい経験をさせてもらえました。フランスはラグビー熱がすごかった。会場のスタッド・ド・フランスには出場国に関係なく、毎日5万、6万の観衆が来て、大熱狂でした」

 世界のスポーツの祭典における思い出を山本は学生たちに伝える。その言葉に影響され、流科大の中から第二、第三の山本が生まれてくる。それこそが教育の醍醐味である。

 その教育のため、山本は単身赴任中だ。
「大学から自転車で10分くらいのところに住んでいます」
 自宅は京都市内。片道2時間30分の通勤は長い。短縮できれば学生に接して、データーと向き合える時間が増える。

 学生を育て、RH大阪、ひいてはラグビーのために山本は奮闘する。それはまた鮮やかな生き方のひとつに違いない。

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