目配り、気配り、心配り。それが眞野泰地のプレーの神髄だと看破したのは湯浅大智だ。現東海大大阪仰星高の監督として、眞野を教えた所感である。
主将兼FLの眞野は決して大柄ではなかったが、勤勉かつスマートに動き回り、身体を張っていたのだ。
東海大に進んで主戦場をSOやCTBに変えても、味方の大型FWを活かすプレー選択と果敢なタックルを両立させた。主将を務めたラストイヤーには教員免許を取り、引退後に指導者となる準備も進めていた。
クレバーでタフ。当時のトップリーグに加盟する複数のクラブにスカウトされたが、選択は当初の計画と違う。
「声をかけていただいた中でも、東芝だけはやめておこうと思っていたくらいで…」
身長172センチ、体重88キロの27歳。いまや東芝ブレイブルーパス東京の貴重な中堅戦士は、当初、このスタンスだった。
親会社の不適切会計が報じられたのは2015年。眞野が高校3年の頃だ。東海大でプレーした眞野にとって、ブレイブルーパスは低迷期に突入した先行きの不透明なチームだったと言える。
気持ちが変わったのは、「3年か、4年」になってブレイブルーパスの練習に体験参加してからだ。東京都府中市の工場敷地内のグラウンドでは、職業集団と思えぬ純度の高さを感じた。
折しも負けが込んでいたものの、トレーニングを終えた選手たちの「どうしたら勝てるか」を考えるまなざしの真剣さは、他の上位チームを凌駕していたように受け取った。
「ここだけは、何か、違う雰囲気でした。プロスポーツにある『お金のため』といったようなもの——もちろんそれも大事なんですけど——が、ここには全くなくて。ただ勝ちたい、ただ優勝したいというためだけにラグビーをしていた。選手同士の繋がりも強く感じられました」
14年ぶりの日本一に輝く昨シーズンまで在籍した中尾隼太(現三重ホンダヒート)は、当時の若手BKのひとり。「チームが変わるには上から引っ張られているだけじゃだめ。(若年層が)リーダーになって下から押し上げないと」と、学生だった自分にまで語り掛けてくれた。
「いまも変わらず、いいチームです。皆、あったかいし」
迷いを振り払って道を切り開くと、得難き出会いも経験した。
ブレイブルーパスと日本代表で長らく顔役のリーチ マイケルとは、学生ラストイヤーに初めて会った。時は‘19年。ワールドカップ日本大会での8強入りを受け、リーチは母校の東海大に講演に来ていた。
終わりかけに突如としてリーチが「大学4年生までずっと童貞でした」と告白した、界隈で伝説となったスピーチを眞野は生で聞いた。
入部後は、人としての力に惹かれた。出場機会の少ない後輩を食事に誘ってくれ、フィールドで率先して身体を張っていたのがリーチだった。
そのリーチが約10年ぶりに主将となった昨季は、加盟するリーグワン1部を戦いながら「この人がほんまに優勝したいというのが伝わってきた。この人を勝たせたい」と眞野。シーズン序盤、試合前の円陣で腿上げをしようと言い出すなど、普段と異なる様子がリーチに見られたからだ。
「その円陣で皆は笑って、和むんです。…(リーチは)勝ったらめちゃくちゃ喜んでいたし、今年は優勝を狙える、狙えると、ずーっと言っていた」
そのシーズン、眞野は13度の公式戦に出場。5月26日のファイナルでも、トライに繋がる突進を繰り出した。頂点に立つと、リーチは身体をマッチ棒のように伸ばしたまま胴上げされていた。眞野はこうだ。
「笑いを取りにいったなと」
12月21日には新シーズンを迎える。22日には日産・スタジアムで昨季4位の横浜キヤノンイーグルスとぶつかる。
秋のプレシーズンは黒星先行も、「結果より中身が大事」。多くの機会で前年度の控え選手を起用し、全てのスコッドに自軍のスタイルをインストールしていた。
その手順を、眞野は信じる。リーグワン史上初の連覇達成は、圧力下でスタイルを貫けるかにかかっているという。
「(今季は)どのチームも東芝を倒そうと思ってそこに賭けてくる。それに勝つには、自分たちのラグビーをやり切るのが大事です。相手がどうこうではなく、自分たちにフォーカスする。例えば相手のディフェンスが幅広く立っているなかでも、自分たちは自分たちのアライメント(陣形や繋がり)にこだわる。そうすればどこかに穴ができ、ボールが繋がる」
ちなみに昨夏に社員からプロへ転じたが、食事と駐車場付きの社員寮を離れられずにいるという。