不調が長引いていたという。
クボタスピアーズ船橋・東京ベイの木田晴斗は、一昨季の国内リーグワン決勝を制するさなかに故障した。
時は2023年春。当時24歳でリーグのベストラインブレーカーとなった売り出し中のWTBは、そのままラグビーの日本代表になった。
臨んだのは、ワールドカップフランス大会へ向けた選考キャンプだ。
ただこの人は、フィールドに立つには万全を期したい性分だった。それは、栄えあるナショナルチームに身を置いていても然りである。
いや、むしろ「それ(無理しながらのプレー)で通用する世界じゃない」。本調子でないままでは、満足なアピールはできなかった。感染症の影響もあり、チームを離脱した。
心機一転。昨年12月からのリーグワンへ臨んだが、「いいパフォーマンスにならなくて」。タックルをされても体勢の変わりづらい強靭さ、左足のキックといった強みを披露しながら、本人は好感触を得られずにいた。
第9節を最後に実戦から遠ざかり、12チーム中6位で終戦した。
「自分がフルでできない状態での試合が多かった。いいイメージからは遠のいていた」
いまはどうか。今年11月9日、千葉県内の本拠地でコベルコ神戸スティーラーズとのトレーニングマッチで復帰早々にトライを決めた。国内リーグワンの新シーズン初戦を12月22日に控え、淡々としていてかつ威勢のよい口調で言う。
「(復帰して)3~4週目ですね。(今回は最後のゲームから)時間が空いたんですけど、先週の練習からコンディションも上がってきていて、自分のなかでも約1年半ぶりに身体の痛いところがないフルの状態で試合ができた。できる自信はありましたし、(実際に)自分の持ち味を発揮できる場面もあった。そこは、よかったです」
‘23年にジャージィを受け取れなかった日本代表からは、引き続き熱視線を浴びる。
今春に長野・菅平であった候補合宿は辞退せざるを得なかったが、今年就任したエディー・ジョーンズヘッドコーチとは定期的に面談しているようだ。
「色々と気にはかけてくれていて。(代表には)もちろん行きたいです。でも、自分のコンディションが戻らない限りは行けないです。まずは自分の身体をフルに持っていくことをフォーカスしていました」
小学4年の頃に極真空手の世界ジュニア選手権でチャンピオンとなった。5年時に始めたラグビーでは、全国大会と無縁の関西大倉高出身ながらも関西大学Aリーグの立命大で台頭。’22年、上昇気流に乗っていたスピアーズへ仲間入りした。
さらなるブレイクが待たれるハングリー精神の人はいま、「ジャパンよりもクボタの開幕戦にフォーカス。開幕戦で勝って、優勝することを(目標として)見ている。一貫してプレーできるようにしていきたいです」と引き締める。
初陣は東京・秩父宮ラグビー場であり、相手はトヨタヴェルヴリッツだ。