6月のフィジー戦(第2テスト)からWXV2までの全7試合で6番を背負った。
173センチの長身を活かし、ジャンパーとして今季好調のラインアウトを支える。フィールドでは献身的なタックルが光った。
サクラフィフティーンでは、これまでLOで起用されることも多かったが、今季はチームに合流するや配置換え。「FLとしてのポジショナルスキルはまだまだ未熟ですが、(RKU)グレースでもバックローだったので違和感はない」という。
川村雅未がその長躯を先に活かしたのは、グラウンドではなくコートだった。
中学まで続けたバレーボールでは、広島県選抜に選ばれるほどの実力者。その地位を捨て、楕円球の世界に飛び込んだ。「新しいスポーツに挑戦したかったんです」と話す。
大阪ガスでプレーを続ける兄・祐暉に、地元から一番近い島根の石見智翠館を勧められた。ラグビー初心者が日本一強いクラブにいきなり飛び込んだのである。
川村の代でそれは唯一だった。
豊富な運動量はここで培われる。
「走るのは得意ではなかったのですが、みんなラグビーがうますぎて、練習より走る方がラクだったので(笑)、頑張れました」
「ラグビーの師匠」と慕う同級生に出会えたことも大きかった。ジャパンの司令塔、大塚朱紗だ。
1年生から寮の部屋っ子同士で、同じ流経大に進み、卒業後もRKUグレースで長く一緒だった。
大塚が代表デビューした3年後の2022年に初キャップを得ると、その年のW杯NZ大会のメンバーにも選ばれる。
そこで出場機会がイタリア戦のわずか21分と限られたことが、競技人生のターニングポイントになった。
「まったく試合に出られなくて、本当に辛かったです。日本が世界に勝てない現実も知って、自分がもっと強くならないといけないと」
海外へのチャレンジはかねて望んでいたが、その気持ちが固まった。タイミングを図り、この2月から半年間、ようやくNZへ武者修行ができた。職を辞して敢行した。
「W杯の悔しさがなければ、NZにも行ってなかったと思います。なので、今では成長の過程だったと思えています」
NZでは、クルセイダーズが世界中の選手たちを集めて、ラグビーのトレーニングやメンタルスキル、栄養、文化などの教育プログラムを提供する「クルセイダーズ・インターナショナルアカデミー」に参加した。
周りは全員、欧州やアメリカから来た20歳前後の男子だった。
「男子と毎日ラグビーができたのは、今の自分のスキルに繋がっています。テストマッチでは強くて速くて大きい選手を相手にしないといけないので、そこでフィジカルを強化できたり、そうした選手にどう対応すべきかを学べました」
課題のボールキャリーは実感こそわかないものの、周りからは「NZに行ってから変わった」とポジティブな変化を伝えられる。
「まだまだ伸ばさないといけないと思っています。ウエートでもっとフィジカルを強くして、フットワークを使ってズラして前に出られるようになりたいです」
来年のW杯は「絶対にベスト8」と誓う。
次こそは笑う。
(文/明石尚之)
※ラグビーマガジン12月号(10月25日発売)の「女子日本代表特集」を再編集し掲載。掲載情報は10月18日時点。