自陣ゴールラインを背にしたディフェンスで、黒黄ジャージーの背番号4、中矢健太の奮闘が際立った。
10月27日に栃木県総合運動公園第2陸上競技場でおこなわれた青山学院大戦。
今季未勝利で迎えた慶大は、この試合を20-10で制する。
勝因はディフェンスだ。反則を重ねて何度も自陣深くへの侵入を許すも、その度に防いでみせた。
その中で中矢はブレイクダウンで激しくプレッシャーをかけ、ジャッカルを決め、モールに絡んで相手の反則も誘った。
「3連敗して自分たちを見失いそうな時もありました。そこでもう一度、強みであるディフェンスを見直そうと。4年生が一番にやろうと話していて、狙えるところは全部狙っていこうと思っていました。結果的にうまいこと自分のジャッカルのゾーンに入ってきてくれました」
球際の強さは、大阪桐蔭高で培う。
「ブレイクダウン、FWが強みのチームです。体を当てることは自然と身についたと思います」
奈良県出身。ラグビーは大阪のOTJラグビースクールで4歳から始めた。
同スクールは大阪桐蔭のグラウンドで活動している。
そんな馴染みのある大阪桐蔭へは、受験をパスして中学から通った。
土日だけでなく、平日もラグビーができ、勉強もしっかりできる環境を探した。一番に当てはまったのが大阪桐蔭中だった。
「それでも、平日の部活は週に2回で1時間だけです。18時まで勉強して、練習は19時まで。ギリギリで単独で出られるような少人数のチームでした」
通常であれば中学受験組は高校に上がるタイミングで難関大学進学を目指すⅠ類に進むが、それではラグビー部に入れなくなるため、その道に進まなかった。「ラグビーをしたい気持ちが一番だった」という。
「ラグビー部に入るにはⅢ類に編入しないといけなかったのですが、Ⅲ類もクラスは学力順に分けられていました。一番上のクラスでは担任の先生も厳しかったですし、勉強できる環境がありました」
ただ、いざラグビー部の門をくぐれば、想像以上の実力差に絶句した。
2学年上には同校に花園初優勝をもたらしたSO高本幹也(現・東京SG)、1学年上にはFL奥井章仁(現・トヨタV)、HO江良颯(現・S東京ベイ)といった世代のスター選手がひしめいていた。
「みんな、体が大きったですし、僕の同期もほとんどが大阪府選抜とかですでに知り合いでした。そこに入っていくのは本当に難しかったのですが、努力しなければいけないというのはわかっていました」
父はその状況を理解し、自宅にトレーニングマシーンを入れてジムを作ってくれたという。
同期の中村志(現・近大主将)や高山碧惟(現・帝京大学生コーチ)、後輩の利川桐生(明大3年)、新井瑛大(早大2年)といったフィジカル自慢のメンバーと朝に集まり、自主練も敢行した。
次第にコンタクト局面で自信をつけると、2年時の途中でBKからLOへとコンバートする。3年時にはスタートを勝ち取った。
「足が速くなくてLOにいきました。ただ、そこでハンドリングスキルが生きました」
大学はAO入試を利用して、ラグビー部として初めての慶大入学を果たす。
異色の道を歩み続ければ、さらに選手としての幅を広げられた。
1年時に膝の前十字靱帯を断裂するも、そのリハビリ期間に木曽一コーチ(当時)がサポート役としてラインアウトのリーダーグループに入れてくれたのだ。3年時からはラインアウトリーダーを務めるまでになった。
「高校の時はラインアウトに入らないLOでした。なので、しっかりラインアウトを分析するようになったのは大学からです。学べる機会をもらえて、成長できました」
高校、大学を通し、できることがどんどん増えた。「成長を実感しています。充実しています」と表情を崩す。
努力を形にできていないのは、チームの成績くらいか。関東大学対抗戦は1年時から4位、4位、5位。大学選手権は最高ベスト8にとどまっている。
「まずは一勝できて一安心ですが、目標の選手権ベスト4以上に向けては負けられない戦いが続きます」
11月10日には立教大戦を控える。混戦模様の選手権争いを、一歩リードしたい。
そのために、何度だって体を張る。