ラグビーリパブリック

「どうなるかわからないけど、ラグビーでてっぺんを」。大東大・小田桐祭の決意。

2024.11.07

大東大のルースヘッドPR小田桐祭(撮影:松本かおり)

 満身創痍だった。大東大ラグビー部3年の小田桐祭は、ずっとプレーしていたゲームのクライマックスをフィールドの外で見届けることになった。
 
 イエローカードを喫したからだ。後半ロスタイム、トライラインを背に何度もスクラムの反則を取られていて、最後のひとつは自らが起因だった。

 レフリーの判定が下った瞬間は、芝に倒れていた。直前の1本を組んでいるうちから、すでに足がつっていたのだ。

「どのみち、続行不可能でした。ただ、チームとして、ゴール前でひとり欠けたことでピンチに…。申し訳ない気持ちです」

 10月27日、埼玉・セナリオハウスフィールド三郷。先発したのは、関東大学リーグ戦1部の5戦目であった。役目は左PR。スクラムで負荷のかかる最前列へ入る。

 1年時はFLとして機動力、推進力を持ち味としていただけに、この午後も突進、カウンターラックといったフィールドプレーで魅了した。特にボールを持った時、相手に掴まれても「立っていられるようになった」のがよかった。かつ、持ち場のスクラムで踏ん張ってきた。

 しかし、課題を見つけた。交替がないままクライマックスを迎えるうち、こう実感した。

「スクラムのクオリティを80分間、保つには、もっと体力が必要かなと」

 対面の選手が中央寄りに組んできていると感じながら、対応しきれなかったようだ。最初のつかみ合いで、身体の向きを変えられたのにも苦労した。

「いい姿勢で組めていたら、自分たちの(いい状態の)スクラムになっていた」と手応えがあっただけに、「最後までクオリティを落とさない」ためにもっとスタミナをつけたい。

「普段(練習)から攻守切り替えの場面を意識し、次のプレーに関与できるような動きをしていけば(自ずと持久力がつき)80分、戦えるようになるんじゃないか…という感じです」

 相手は東海大だった。昨季まで6連覇中というこの優勝候補に、大東大は無敗のままぶつかった。前半は33-14とリードできた。小田桐が引き下がってからも味方が防御で奮闘し、33-33と引き分けに持ち込めた。背番号1は安堵した。

「感謝しかない。何とか我慢してくれた」

 目下、唯一の黒星なしで単独首位。3季ぶりの大学選手権進出へ近づく。身長174センチ、体重107のハードワーカーは、味方への信頼を口にしながら、部内で不動の存在になりたいと明かす。

「リザーブの橋口(博夢)のことは信用しています。ただ、(自身が)替えたくないと思われる選手になっているのは、自分としてはいいことです。試合重ねるごとに80分(フル出場)に身体が慣れてきている。これからも怪我なく80分ギリギリまで出られるようになりたいです」

 福島の柔道一家に育ち、小学校から道場へ通った。小学5年でいったん畳から離れたものの、中学生になって再開した。地元で柔道を教えていた父に稽古をつけてもらい、県王者となり、全国大会にも進んだ。

「小学校ぐらいまでスポーツができない人間だった。ただ、柔道で初めて、スポーツで頑張って結果を出すということができた。自信がついて、高校からラグビーを始めてもいけるという気持ちになれました」

 楕円球の道に転じたのは、高校見学がきっかけだ。進路選択に際しては「一応、柔道の推薦の話もあった」というが、「スポーツでは何が起きるかわからない」からと県下有数の進学校である磐城高をチェック。ラグビー部の体験会にも参加した。

 雰囲気に惹かれた。ここでなら、充実した日々が送れると確信した。

「柔道のキャリアを捨てるのはもったいないという声はありました。ただ、ラグビーで結果を出せばその意見もなくなるだろうと考えました。選択肢を(行動で)正解にさせれば問題ない…と。柔道を辞めるからには、ラグビーを真剣にやらないといけない。その覚悟が決まりました」

 磐城高へは、当時の入試制度に倣って入学した。柔道での実績を書面化し、ラグビーの実技も披露した。

 校門をくぐれば、柔道を通して中学時代から仲の良かった同級生もラグビー部へ誘った。HOもできるNO8として暴れた。

 3年時は全国高校大会へ出た。大東大のスポーツ推薦の誘いをもらったのは、その前後のことだった。

 一時は競技から退いて難関大受験に集中しようともしたが、「負けて悔しくて(全国大会で初戦敗退)、終われないな」。高校の教師からも「お前はラグビーを続けた方がいい」と背中を押された。いわば退路を断つ思いで、埼玉県内のラグビー部寮に移り住んだ。

 左PRに専念したのは今季からだ。「大学2年の頃は95キロで、3年の春には107キロ。そこからどんどん絞って105キロ」と増量に成功。グラウンド外で副務を務めながら、グラウンド内ではレギュラーを張る。

「とにかく質の高い練習をたくさんやる。いまの大東大の1番(左PR)の中で一番、練習すれば、絶対に結果は出ると思いました。いまのチームで勝ちたい。その思いでいたら、自分の実力もついてくる」
 
 大学を出てからの生き方については、視野を広げて考えるつもりだった。就職活動を通し、ビジネスに興味を抱いた。

 ところが最近になって、気づいてしまった。

 本当は、自分はラグビーがしたいのではないかと。
 
 己を見つめ直したのは、周りの声に耳を傾けたからだ。折しも大東大で就任2年目の酒井宏之監督から、国内リーグワンのチームのトレーニングへ混ざってみないかと提案された。

「まだ直接、『うちに来てください』というもの(正式なオファー)はないのですが、ラグビー一本で行くことに決めました。自分はラグビーをやりたくて、その背中を押してもらいたかったんだとわかりました。どうなるかわからないですけど、ラグビーを続けると決めたからには、ラグビーでてっぺんを獲りたいです」

 いずれは、頂点を目指すクラブで高みを見据えたい。そのためのいまを生きる。

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