ラグビーリパブリック

【ラグリパWest】魅力と慈しみ。トウタイ・ケフ [Toutai KEFU/花園近鉄ライナーズ/FWコーチ]

2024.10.11

トンガ代表のヘッドコーチから花園近鉄ライナーズのFWコーチに転じたトウタイ・ケフ(右)。クボタ(現S東京ベイ)に次ぎ、日本では2チーム目の所属になる。写真はアシスタントコーチ兼普及のタウファ統悦(左)とともに。2人ともそのルーツをトンガにもつ

 トウタイ・ケフは魅力にあふれている。現役時代は「ワラビーズ」と呼ばれるラグビー・オーストラリア代表の英雄だった。

 常人離れした突破力を持ち、NO8としてキャップは実に60。その英雄はこの夏、花園近鉄ライナーズのFWコーチについた。チーム名の短縮形は「花園L」である。

 人をひきつけるのは、まずその体つきだ。選手の時は191センチ、110キロだった。
「今は130キロくらいありますかね」
 こげ茶色のまん丸い顔は笑み崩れる。巨大なお地蔵さんが歩き出したようである。

 ケフを見て、腰を抜かしそうになったのは東屋(あずまや)あさ子だ。熱狂的な花園Lのファンであり、花園ラグビー酒場の女将(おかみ)でもある。
「おおきいーなぁー。縦にも横にも。ワカァとは大きさの種類が違う」
 LOサナイラ・ワクァは202センチ、120キロあるが、喜寿周辺の女将にとって、ケフに会った衝撃の方が強い。

 その大きなケフに率いられた花園LのFWは先月19日、S東京ベイと合同練習をした。ケフは前名のクボタスピアーズ時代、選手やコーチとして10季を過ごしている。花園Lは今、リーグワンのディビジョン2(二部)。S東京ベイの降格はない。6位だった。今回は上京して胸を借りる形になる。

 ケフはその体内に磁場を持っている。9年前の離任にも関わらず、その夜の宴に、S東京ベイから後藤満久、今野(こんの)達朗、鈴木力、前川泰慶(ひろのり)らが集まった。みんなチームで偉くなった。

 今、どれくらい飲みますか?
「最近は夜11時になったら眠たくなります。昔とは違います」
 一説によると、ケフは若い時分、試合が終わってから、朝までずっとビールを飲んでいたこともあったらしい。

 今年4月8日に50歳の誕生日を迎えた。妻との間に子供は5人いる。
「下の2人の息子は日本で生まれました」
 東洋の島国との濃い縁を口にする。

 今回は初めての関西、それも大阪に住む。年単位の長期滞在は3回目になる。
「昔は花園なんかで試合をしたあと、すぐに東京に帰りたい、と思ったものでした」
 今は違う。
「大阪は居心地がいい。情も厚い」
 三度の食事を軸に住人と深くふれあう。単身赴任から、年内にも夫人が合流する。

 日々の生活の印象はそのままこの紺エンジのチームにもスライドさせられる。
「選手たちはみんな素晴らしいですし、スタッフもまたそうです。その結びつきは強固なもので、勝利への情熱があります」
 ケフからはすでに満足感が漂う。

 では、なぜ負けて、降格したのですか?
「まだコーチングを始めたばかりですし、試合の映像を見ただけですが…」
 断りを入れながら、自分が関与しなかったことにも誠実に答える。
「アタックに関して、どこを攻めるか、といった方向性が少し薄い気がしました」
 意思統一の部分を口にした。

 そのこと踏まえて、自分自身の指導における哲学を語る。
「できるだけ教えることを単純に、明確にします。そして、選手たちを迷いない状態でグラウンドに送り出します」
 そのための信頼を日々重ねつつある。

 FWでは有望な若手として2人の名前が挙がった。HO上山黎哉とNO8梅村柊羽(しゅう)だ。入団3年目と2年目である。2人とも昨季のリーグ戦出場はない。

 上山は本当の意味での地元選手。花園ラグビー場に至近の中学、英田(あかだ)から、大阪桐蔭、帝京大に進んだ。ケフは評する。
「攻撃的な選手です」
 大学までFLだったため、フィールド・プレーは問題ない。175センチ、100キロの体でスクラムにも慣れてきた。

 梅村は岐阜の関商工から東洋大を経て入団した。大学在学中にアーリーエントリーでリーグ戦に出場した経験がある。
「日本代表に呼ばれる可能性を秘めています」
 ケフは特にその将来を楽しみにする。梅村のサイズは183センチ、100キロ。ラックやモールへの献身的な参加が光る。

 日本代表にケフは近い。ヘッドコーチ(監督)のエディー・ジョーンズとは旧知の仲だ。
「定期的に連絡は取っています」
 エディーは2003年のワールドカップで「世界一監督」の称号を逃した。ワラビーズには当時29歳のケフがいなかった。
「ケガをしていました」

 自国での決勝はイングランドに17-20。ケフの代表漏れがなければ、フィル・ウォー、ジョージ・スミスと世界最高のFW第三列を形成し、2大会連続の優勝を引き寄せていたに違いない。エディーにとってケフはキー・パーソンのひとりである。

 ケフはスーパー12(現スーパーラグビー・パシフィック)のレッズの新星として、ワラビーズにも選ばれ、1997年8月23日の南アフリカ戦で代表デビューした。23歳で初キャップを得る。試合は22-61で敗れた。2年後、第4回のワールドカップでは不可欠な選手として、2回目の優勝を支えている。

 2004年から6季、クボタの選手としてリーグワンの前身であるトップリーグで戦った。最高位は6位だった。2012年からはヘッドコーチとしてクボタに戻り、監督の石倉俊二を支えた。最高位は9位。チーム指導は翌2016年からフラン・ルディケに引き継がれ、一昨季、日本一に上り詰めた。

 2016年からはケフはルーツがあるトンガ代表のヘッドコーチ(監督)をつとめた。
「10年弱、遠征についてヨーロッパにも行け、そこで色々な学びがありました」
 ワールドカップには2回出場。2019年と2023年だった。ともに1勝3敗で本大会の予選プール敗退となった。

 その間、惨劇に見舞われる。2021年8月、オーストラリアの自宅で少年強盗団に襲われた。ケフは刺されて重傷を負った。家族も受傷する。S東京ベイの前川はその時、ケフの人としてのステージの違いを知る。旧交を温める宴にはGMとして参加している。

「ケフは犯人に同情して、15歳でこんなことをするのはかわいそうだ、と言ったらしいです。普通なら、なんてことをしてくれたんや、という気持ちになると思うんですがね」

 生死を彷徨(さまよ)っても、加害者を憎まない。聖者のような他者に対する慈しみがある。その慈しみはまた、大阪で出会った選手たちに振り向けられるのだろう。それはチームの団結には不可欠なものである。

 ケフはヘッドコーチ(監督)の向井昭吾を盛り立てて、花園Lを最短1季でのディビジョン1復帰に導いてゆく。

Exit mobile version