ラグビーリパブリック

明治のフッカーを生きる。山本文士郎[明大4年/HO]

2024.10.02

対抗戦デビューを飾った青山学院大戦。4トライを挙げた(撮影:阿部典子)

 喜ぶべきところで、頬ひとつ緩まなかった。

 9月8日、札幌の月寒屋外競技場でおこなわれた関東大学対抗戦。青山学院を相手に開幕ゲームを戦う明治は後半10分、先発のフッカー西野帆平に変えて、山本文士郎をピッチに送り出した。入部して3年と半年。初めて紫紺と白のジャージーをまとって対抗戦の舞台に立った。

 明大中野出身の最上級生は、ファーストプレーでラインアウトスローを成功させ、早速、役割を果たす。2分後の相手ゴール前での投入も上々の出来。そのままモールの最後尾にポジションを取り、7メートルほど進んで楕円球をインゴールエリアに押しつけた。
 勢いは止まらず、18分と27分にも同じ形で立て続けにトライを記録した。

 4年生。初めての対抗戦。いきなりのハットトリック。
 言葉だけ並べれば、賞賛と祝福のシャワーを浴びてもおかしくない。それなのに、当の本人は表情ひとつ変えず、コンバージョンキッカーの平翔太にボールを渡し、足早に自陣へと戻っていく。

 理由はその5分前のプレー。自陣の右サイド22メートル線前、相手ボールのスクラムを押された。
 その場で第一列だけが崩れる、判断の難しいコラプシングではない。ヒットのあとにカウンターを浴びて10メートル近くも後退させられた。明確な負け。明治の背番号16のプライドはひどく傷ついた。

 それ以前に組んだ2本は逆にペナルティを奪っている。「気を抜いてはいなかった」と言うが、次も大丈夫とどこか安心していたのかもしれない。一人ひとりの押すタイミングにズレが生まれ、方向も意識も乱れた。FWの指導者、アシスタントコーチの滝澤佳之が口酸っぱく言う「一本にこだわる」を遂行できなかった。

 以降、頭の中がスクラムでいっぱいになった。
 苦節3年半、初紫紺でハットトリック(ロスタイムにもさらに一本)。たまらなく嬉しい出来事のはずなのに心は弾まない。

「トライのあとのリスタートまでに時間があるので、次(のスクラム)はどうしようか、と。そればかり考えていました。周りからナイスって言われるんですけど、音としては聞こえるのに、まったく頭に入ってこなくて」

 自身が出場した時間でうまくいかなかったのはこの1本だけ。それでも自分を許せない。
 なぜなら明治のフッカーだからだ。

「もちろんラインアウトも大事ですけど、スクラムに関しては中心になるべき立場。滝澤さんにも、フッカーが負けたら負ける、とよく言われています。だから絶対に勝たないといけない。明治のフォワードではいちばん大事なポジションだと思います」

 前述したように、最終学年を迎えて、ようやく紫紺に袖を通した苦労人だ。
 桐蔭学園中学で楕円球と出会い(同期に現・慶大主将の中山大暉がいた)、2年の冬に東京の強豪・千歳中に転入。高校はラグビー推薦で明大中野に入った。そして卒業後に明治へ。

 略歴をさっと追えば、一見エリート。だが実情は異なる。八幡山には毎春、全国の猛者が集う。中高と目立った成績を残せなかった自分はついていけるのか。不安を覚えながら寮の門を叩いた。

 嫌な予感は的中する。
 入部早々に実施された1年生だけの筋力トレーニング、通称「ルーキーズ・ウエート」。ふたり一組で、指示されたメニューに取り組んでいく。このときのペアが、常翔学園出身の木戸大士郎。言わずと知れた現在のキャプテンだ。ただ意外にも木戸には世代別の代表に選ばれた経験がなく、山本もその存在を知らなかった。
 しかし3年後のリーダーに、まざまざと違いを見せつけられる。

 のちのナンバーエイトが悠々と挙げる重量にまったく歯が立たない。補助に入ってもらい、体を小刻みに震わせて、なんとかこなすのが精一杯。何度も「きつい」と叫ぶうちに時間が過ぎていった。
 このあと木戸は早々にレギュラーポジションを確保。山本は下位チームの練習試合に一度だけベンチに入って、ルーキーイヤーを終えた。

 明治の選手の序列は、ふたつの集団に大別される。ジュニア選手権を含めた公式戦への出場機会を狙えるA、Bチームの「ペガサス」。そして下位のC、Dチームで構成される「ルビコン」。主に練習試合のメンバーだ。

 山本は学年をひとつ上げてもルビコンのままだったが、徐々にプレータイムを増やしていく。9月には初めてペガサスに昇格。だがレギュラークラスの壁は高く、分厚かった。スクラム練習では問答無用で押され、滝澤からは厳しい指導を受け、すぐさま降格の憂き目に。「ちょっとショックだった」と振り返る一方で、大学のトップ戦線にいる選手の力を体感できたのは収獲だった。

 3年生になると、さらに状況に変化が生まれる。ペガサスで過ごす時間も長くなり、コロナに罹患したために実現しなかったが、夏合宿の練習試合ではAチームのリザーブにも選ばれた。そして秋のジュニア選手権。「あれは、いいスクラムだったなあ」と、およそ一年が経った今でもしみじみ思い出すような会心のゲームを経験する。

 10月22日、帝京との予選プール第3戦。勝てば首位でのプレーオフトーナメント進出も見えてくる重要な一戦で、16番を託された。自身初の公式戦。試合前には同じく控えのPR檜山蒼介、古田空(23年度卒)とともに滝澤に呼ばれ、「気合い入れていけよ」と激励された。

 ピッチに立ったのは、後半も残り半分を過ぎたころ。主導権が両チームの間を行き来する展開の中、試合はロスタイムを迎えた。スコアは22-28と6点のビハインド。戦況は敵陣ゴール前、帝京ボールのスクラム。勝利のためには押すしかなかった。

「たしか僕ら(リザーブのフロントロー)が入って、2本目だったと思います。そもそも組む回数も少ない中で、最後のワンプレーで、いちばんいいスクラムが組めました」

 見事に崩してターンオーバーに成功。檜山がボールを拾って、インゴールへ飛び込む。ゴールも決まり、劇的な逆転勝利。難しいミッションを見事に果たしてみせた。

 この大逆転劇において、もうひとつ忘れられない場面がある。それはコーチの滝澤の姿だ。
 熱意あふれる指導者は試合の際、状況が許せば、ベンチ前でヒザ立ちの体勢を取ってグラウンドの中を見つめる。このスクラムでも当初はいつもどおりだったが、ターンオーバーした瞬間、パッと立ち上がり、トライが決まると飛び跳ねて全身で喜びを表現。その一部始終が、スタッフ撮影の映像に残されていた。
 いつもは厳しい人の初めて見る姿に、「あれはおもしろかった」と思わず顔をほころばせる。試合後には、「いいスクラムだった」と褒めてくれた。「(滝澤さんが)喜んでるのはめちゃくちゃ嬉しい」は、間違いなく本音だろう。

「本当にすべてにおいて熱心な方。しっかり指導してくれて、とても尊敬しています。まあ、怖いといえば怖いんですけど…」

 4年生になった今でも、急な呼び出しにはまったく慣れない。
 基本的には学生コーチを経由したLINEで、まれに部屋で眠っていると、「呼んでます」と起こされる場合もある。そのたびに胸がドキッとする。

「フォワードの選手はみんな経験してると思うんですけど、フッカーはちょっと多い気がします」

 その感覚はきっと正しい。裏を返せば、それだけ伝えたい言葉があるということだろう。ましてやフッカーは明治FWの核であり、スクラムの中心。シーズンが深まれば、その回数はますます増えていくはずだ。
 とくに今季はそのスクラムで春から苦しんだ。フロントローのメンバーが大きく変わり、昨季までのクオリティを発揮できない場面も散見された。しかし状況は変わりつつある。コーチの熱意とそれに応える選手の努力が相互作用を生み、対抗戦のスクラムは試合ごとに強さと安定感を増している。

「まとまりがよくなりました。特にバックファイブですね。滝澤さんもよく言うんですけど、フロントロー以外の5人がすごく成長した、と。ヒットを受けたあと――明治ではビルドって呼んでいて、そこが大きく伸びたのが、いいスクラムを組めている理由だと思います」

 明治で過ごせる時間も残り半年を切った。
 来春の卒業後は一般就職する。会社にラグビー部はあるそうだが、本格的に競技に打ち込むのはこの秋と冬が最後。「もともとそのつもりだったので、今季はやりきりたい」の言葉に嘘はない。

 そのためにはメンバー争いを勝ち抜かなければならない。
 レギュラーの筆頭格・西野帆平、同期で好調を維持する金勇哲、伸び盛りのルーキー高比良恭介とライバルは多い。事実、開幕戦後は慶應戦(9月22日)、日体大戦(9月28日)ともに23人の枠に入れなかった。状況を変えるカギはやはり「スクラム」だ。

「そこで負けたら選ばれないので。滝澤さんが言うには、選手それぞれに強みと弱みがある。その弱いところをいかになくせるか。僕の強味はヒットスピード。そこは伸ばしつつ、肩の使い方や押す方向にこだわっていきたい」

 現状はたやすくない。それでも「自信はすごくあります」と言い切る。紫紺のフッカーの心は折れない。

177センチ、100キロのHO。撮影は応接室にて(撮影:三谷悠)
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