17-41。ラグビー日本代表の梶村祐介は、この結果を受け止める。
「それまではミスがミスで終わっていたのに対し、今回は自分たちのエラーが失点に繋がった。いままでの相手とは強度が違いました」
9月21日、東大阪市花園ラグビー場でのパシフィックネーションズカップ(PNC)決勝で敗れた。相手はフィジー代表だった。日本代表が予選プールで敗退した昨秋のワールドカップフランス大会で8強入りを果たした通称「フライング・フィジアンズ」である。
8月下旬から参戦していたPNCではカナダ代表、アメリカ代表、サモア代表をいずれも大差で下したジャパンだったが、この夜は向こうの圧に泣いた。一時はタイスコアに持ち込むも、終盤に突き放された。
「勝てると信じて準備してきたので、かなりスコアが空いてしまったことは反省です」
こう語る反省する梶村は、今度のPNCのキャンペーンでこの日、久々の代表復帰テストマッチ出場を果たしていた。
15日の準決勝(東京・秩父宮ラグビー場/〇49-27)では、後半30分から登場。これは、2022年6月25日のウルグアイ代表戦(福岡・ミクニワールドスタジアム北九州/〇43-7)に先発して以来のテストマッチだった。
ファイナルでは後半21分に投じられた。鋭いタックルを重ねたり、自陣で球を得てスペースへ効果的なキックを放ったりした。
「前回より多めの時間をもらった。リザーブで入ったからにはインパクトをと思っていた。できるだけ、ボールの近くにいてプレーに絡もうとは思っていました」
身長181センチ、体重95キロの29歳。初めて日本代表に絡んだのは’13年だ。当時、報徳学園高の3年生だった。今年約9年ぶりに復帰したエディー・ジョーンズヘッドコーチが以前指揮を執っていた際、キャンプに練習生として招かれた。
ちょうど年代別代表を指導していた沢木敬介氏に国際基準とは何たるかを教えられ、明大では身体作りから見直した。寮の食事が出ない日も栄養バランスに留意するなどし、’18年に加入の現東京サントリーサンゴリアスでは1年目から主力に抜擢された。
ナショナルチームに定着するには、幾多のハードルが課されてきた。ジェイミー・ジョセフヘッドコーチ時代の‘19年には、ワールドカップ日本大会息を目指すもメンバーの最終選考で落選した。
横浜キヤノンイーグルスに移籍して臨んだ’22年も、体調不良が絡んでチャンスを掴むには至らず。海外遠征に呼ばれながら控え暮らしが長引き、モチベーションを保つ難しさも覚えた。ワールドカップフランス大会のあった‘23年は、盲腸の手術のため代表と距離を置いた。
今回は、10代で知り合った沢木の率いるイーグルスの主将として2季連続4強入りを果たしたうえでの代表復帰である。
質の高いタックルを繰り出す裏側には、クラブで植え付けられた緊張感が見え隠れするような。国内シーズン中、好守で光っていたわけをこのように述べていた。
「基本的に、ゲームの 2 日後に前の週をレビューするミーティングがあり、そこでは『よくないタックル集』みたいな映像が流れる。その(特定の)人を批判するためではなく、『これは自分たちのスタンダードではないよね』と(再認識するのが目的)。そこに、主将という立場の自分が挙がりたくないな、という思いがあって。自然と向上に繋がりました」
特に南アフリカ代表CTBのジェシー・クリエルが怪我で離脱してからは、ディフェンスリーダーのひとりになってもいた。「まずは自分が率先してしっかりやる」という決意が、1本ずつの質とプレー後の起き上がりに昇華したのだろう。
意識するのは「一貫性」。いつ何時でも、同じ質の動きを繰り返すことを指す。
「もともと、結構、むらっけがあるタイプだったのですが、一貫性は出てきたと思っています。アタックに関してあまり変化は感じませんが、ディフェンスと、ボールを持ってない時のワークレートは(前向きに)変わったかなと」
このほど久しぶりに会ったジョーンズへの印象を聞かれれば、「エディーさん自体はそんなに変わっていないなと。ただ、ラグビー(のトレンド)は変わっていて、そこに順応されている」と笑顔。選手を見つめる視線の厳しさと、選手の力を引き出そうとする情熱は以前のままだと見る。
チームで提唱される『超速ラグビー』を体現するには、運動量と加速力が求められそう。
梶村は「やっているラグビーは所属先と異なります。それをどれだけ理解し、グラウンドでパフォーマンスに出せるか」を最優先課題とし、「練習で信頼を掴む」ことでさらに出番を獲得したいという。
「あとは、きょうみたいにチャンスをもらえた時にどれだけインパクトを示すかも重要です」
ナショナルチームはいったん解散した。休息に入った選手たちは、各自GPS装置を渡され、専用アプリを片手にトレーニングに励んでいる。10月中旬からの秋のキャンペーンに参加すべく、己を鍛える。