ラグビーリパブリック

「笑顔の100周年試合、福岡高校関東遠征」

2024.09.24

「花園で同じジャージで対戦を」と誓い合った


 1924年(大正13年)7月に福岡に誕生したラグビークラブ、旧制福岡中学ラ式蹴球部(現・福岡高)。今年、100周年の記念の年を迎えた。福高(フッコー)の愛称で親しまれるチームは、1年以上前から関東遠征を企画。秋の3連休に上京し、9月21日に國學院久我山、23日に早稲田実業高と記念試合を実施した。試合は7-57久我山、14-52早実という結果になったが、戦った選手、スタッフはもちろん、観戦に訪れた卒業生たちも笑顔の日々を過ごした。

 23日、早大施設で行われた早実戦。アカシロ(福高)とアカクロ(早実)がお互いのプライドを競った試合は、早実のいきなりノーホイッスルトライで幕を開ける。

 10分、早実のハーフウェーライン付近の右ラインアウトに向けて投げ込まれたボールがルーズになった。拾った福高SO堂本大輔(3年、長崎・長与ヤングラガーズ)が鋭いステップで早実ディフェンスを抜き去り、右中間へ仕留める。「普段はFBです。SOは久しぶり」というユーティリティBKは自らコンバージョンも決めて7-7の同点になった。

前半10分、福岡高SO堂本大輔が同点につながるトライをマーク

 しかしリスタートから早実が実力を出し始める。大きく揺さぶる攻撃で福高守備網を切り裂き、次々とトライラインを越えた。早実が5トライ33-7で前半を折り返す。

 福高主将FL大庭謙伸(3年、筑紫丘ラグビークラブジュニア)は悔やむ。「前半10分まで自分たちのラグビーができていた。それから集中力が切れて」。後半も早実がウォーターブレイクまでに3トライを奪い、52-7とする。

 それでも福高はあきらめなかった。残り10分、つないで早実陣へ入る。ラインアウトから継続。体格で劣るもマイボールを確保し続ける。そしてゴール前、5メートルのラック。SO堂本が持ち出し2回目のファイブポインターになった。G成功52-14へ。詰めかけたOB、OGから歓声が沸いた。

 司令塔として「久しぶりだったのでゲームコントロール、コミュニケーションの部分で足りないところがあった」と堂本は冷静に試合を振り返った。

 チームを率いた原雅宜監督は話す。「関東遠征ができたことに感謝します。初戦の久我山戦は緊張感もありました。きょうは最初から福高のラグビーを出すことができました」

原雅宜・福岡高監督。「きょうは自分たちのラグビーを出せた」

 試合後、両チームが集ったファンクション。早実・大谷寛ヘッドコーチは語りかけた。「10年前、早実が福岡遠征をしたとき福高に64点を取られた。自分たちは1トライでした。そこから、花園(冬の全国大会)に3回出場できました。同じジャージで両チームが花園で対戦できれば」。福高との試合が今の早実の原点になった。

 100周年。創部から1年後の1925年、福高は初めて第9回全国大会に出場した。戦中の’41年、24回大会で初優勝を遂げた。’46年、’53年と3度の全国制覇。出場は37回、優勝3、準優勝3、ベスト4は5回を誇る名門だ。しかし最後の出場は、福岡県から2校出場が確保された2010年度の90回記念大会となっている(2回戦敗退。12-48大阪朝鮮高)。

 今年の福岡県大会、福高は10月20日に初戦(3回戦)を迎える。勝利すると準々決勝は最大の壁・東福岡高だ。「きょうの前半からの戦いを続けられれば」と堂本が力をこめる。原監督は「やることは同じ。福高はタックル。ディフェンスから」。

福岡高、大庭謙伸主将は早大志望(写真右)。「憧れの地で試合ができた。大学でもここでラグビーを」

 3年生には、来春の進路も待つ。
 福高のホームぺージでは、3年生の個人紹介に志望大学を掲載している。この日の会場、早大ラグビー部を目指す3人には憧れの場所だ。主将・大庭、SO堂本は「ここでできてモチベーションが高まりました。絶対に行きたい」。一般受験で志す。もう一人、マネージャーの山本琴さんは文学部系志望。「2人と一緒に合格して早大ラグビー部へ」。

福岡高OB、OGが後輩たちを称える

 花園後は、大学でも早実生とワンチームになりたい。

初戦は國學院久我山に7‐57で敗れる(提供・福岡高OB北原広大さん)
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