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【ラグリパWest】今の「平尾二世」。杉山祐太朗 [京都市立京都工学院高校/SO]

2024.09.20

京都工学院高校で1年からSOでレギュラーを張る2年生の杉山祐太朗。「ミスター・ラグビー」と呼ばれた先輩、平尾誠二さんにあやかり、「平尾二世」と呼ばれる。今夏、U17日本代表に選ばれた。充実した日々をチームの全国大会出場に結びつけたい

 平尾誠二はミスター・ラグビーだった。

「平尾二世」
 今、そう呼ばれるのは杉山祐太朗だ。チョコレート色の顔をほころばせる。
「うれしいです」
 丸い瞳と髪は漆黒。南方を感じさせる精悍さは、その辺りの推しメンをなぎ倒す。

 平尾は実力、頭脳、容姿などすべてを備えていた。主将SOとして当時の校名、伏見工を初の全国優勝に導いた。得た日本代表キャップは35。日本代表や神戸製鋼(現・神戸S)の監督やGMなどを歴任した。

 杉山は伏見工の流れをくむ京都工学院の2年生だ。OB監督である大島淳史(あつし)は平尾二世という単語を補足する。
「平尾さんは1年からSOのレギュラーとして試合に出ていました」
 杉山も入学した春から、司令塔と表現されるこの同じ位置で正選手になった。

 大島は抜擢理由を述べる。
「杉山はすべてにおいて高いレベルを有しています。そして、その上で体を張れます」
 175センチ、76キロの体を迷わずぶつけられる。逃げないSOは相手には厄介だ。

 大島はそれまでの平尾二世として、薬師寺大輔、今村友基(ゆうき)、馬場(ばんば)美喜男の名を挙げる。薬師寺は神戸製鋼、今村はキヤノン(現・横浜E)、馬場はトヨタ自動車(現・トヨタV)で現役引退をしている。

 現役選手では松田力也がいる。
「リキヤの場合はFBもやっていました」
 大島は付け加える。松田は伏見工から帝京大に進み、現在は埼玉WKからトヨタVに移籍した。日本代表キャップは39を有している。

 平尾を擁した深紅のジャージーの全国優勝は1980年度。60回大会だった。それから45年ほどが経った。その間に二世と呼ばれたのは杉山を含め5人しかいない。

 平尾の動きを杉山はYouTubeで確認できる。生きていれば61歳になっている。
「結構見ます。うまいなあ、と思います。近づけるように努力を続けてゆきたいです」
 最近はステップの切れを増すため、細かく、速い足運びがいるラダートレーニングに熱中する。平尾のカットインは一級品だった。

 その努力もあり、杉山はこの夏、U17日本代表に選ばれた。先月下旬の「日・韓・中ジュニア交流競技会」では3戦全勝に導いた。
「高いレベルでやらせてもらって、さらに頑張らないといけない、と思いました」
 向上心がかきたてられる。チームでは副将もつとめた。統率力も備えている。

 世代代表の階段を着実に上がる杉山。その生まれ育ちは熊本である。錦ヶ丘中を卒業後、母と京都にやって来る。ラグビー部のOBが持っている家に住まう。

 京都工学院とは縁があった。大島は日体大出身の保健・体育教員でもあるが、その2学年上に竹原洋平がいた。竹原は熊本ラグビースクールの指導員として、幼稚園の年中から中3まで在籍した杉山を教えている。

 杉山は元々、公立志向があった。
「私立より状況が厳しいと言われる公立校が勝ってゆく姿は格好いい、と思いました」
 京都工学院は京都市立。ラグビー部は平尾の3年時を含め、歴代6位の4回の全国制覇がある。直近の85回大会(2005年度)の優勝は公立校として最後のものでもある。

 京都工学院を選んだ理由はほかにもある。フロンティア理数科の存在である。
「きちっと勉強もさせてもらえます」
 杉山のいる科は機械や電気などのそれまでの実業系ではなく、進学に特化している。8年前の開校と同時にスタートした。

 ラグビーと勉強の両立は杉山にとっては当然である。祖父・眞夫も父・眞一も楕円球に親しみ、ともに外科医になった。祖父は県ラグビー協会のトップ、会長を経験した。父は理事と書記長を兼務しながら、済生会熊本病院に勤めている。その母校は熊本高と熊本大。杉山の公立志向の遠因がある。

 父からは医の道を強制されたことはない。
「好きに生きろ、って言ってくれています」
 杉山の兄・眞太朗は基礎工学を学ぶ。大阪大の2年生。関西に同じように住まう。SHとしてラグビーは体育会で続けている。

 競技を始めて13年目。杉山には今年、明確な目標がある。
「まずは花園に出ることです」
 最後の府予選突破は95回大会(2015年度)。3回戦で優勝する東海大仰星に5-41で敗れた。その後8大会、開催地の花園ラグビー場の芝生を踏んでいない。それは京都工学院の名での出場もないことを示している。

 今年はチームの調子がいい。9月8日、その東海大仰星との定期戦を30-17で制した。
<母校に戻って、9月の定期戦に勝つのは初めてです>
 大島からのメッセージは弾む。中学教員から母校への異動は2014年春。大島にとっては11年目で初の白星である。

 東海大仰星は歴代4位の全国大会優勝6回を誇る。京都工学院より2回多い。この定期戦は1991年から始まり、次年から年2回開催になった。新チームが発足する1月と全国大会予選前の9月である。

 東海大仰星に勝った勢いで、京都工学院は104回目となる全国大会の府予選に挑んでゆく。第一シードとして、11月に2回勝てば、9大会ぶりの花園出場を決める。春の府総体決勝は京都成章を59-8で破っている。

 その復活を後押しする環境はいい。
「毎日が充実しています」
 杉山は言う。グラウンドは人工芝。ウエイト機器はトップブランドのハンマー・ストレングスで固められている。

 その自分自身の充実を京都工学院の勝利に押し広げたい。司令塔の一番のつとめは勝たせること。それができれば、平尾二世の呼び名に真に恥じぬようになってくる。

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