ラグビーリパブリック

【コラム】ラグビーの力学

2024.08.30

セットプレーに見る「ラグビーの力学」。写真は2023年W杯・ウエールズ×アルゼンチン戦でのスクラム(Photo/Getty Images)

 夏は読書の季節。本来、正しくない。しかし、熊谷の駅前に「日本一暑い」を狙ってテレビ局クルーが出動するようなシリーズの炎天、外出の足もつい止まり、机のあちこちに積まれた本が休日の友となった。新聞の書評の仕事を続けているので趣味と実益を兼ねて、これはこれで悪くない。

 7月の収穫は『相撲の力学』。副題に「神業のカラクリ」とある。松田哲博著。書くべき人が書いた一冊と断言できる。

 まず著者は若松部屋(現・高砂部屋)の元力士の一ノ矢である。体格に恵まれず大きな出世はかなわぬも46歳まで土俵を務めた。最終学歴は琉球大学理学部物理学科。相撲の力学の研究と発表は天職ではあるまいか。

 さてラグビー。21世紀になって人口に膾炙した「オフロード」はもはや昔の言葉のごとし。いま頭に浮かんだところで「シェイプ」に「ポッド」に「バックドア」、新たな戦法やスキルの用語はひっきりなしに更新される。

 そうなってくると、報じ伝える身としては、むしろ身体の動作に関心がわく。こちらの領域こそは潮流を超えて過去と未来をつなぐ普遍だからだ。走り出す際のつま先の方向。パスを送る親指の角度や防御ラインの裏へ出た直後の足の運び。もちろんセットプレーでの四肢のつかい方も含まれる。

 半世紀以上も前、ある大学のコーチはスクラムについて日夜考察を深め、腕と手のパックの原則を定めた。

「握るな」。あるいは「つかむな」。

 2番は両手の指を曲げずに左右プロップのジャージィに添える。状況により握ったとしても、そっと引っかける程度だ。1番と3番のそれぞれ右、左の手もしかり。ロック、フランカーも同様である。

 いまは亡き名コーチ、1970年代の早稲田黄金時代を支えた梅井良治さんにそのココロを聞いたことがある。

「つかむと、相手のほうが重く力が強い場合、こちらの腕が開いてしまう」

 握ることで負のエネルギーがみずからにかかる。元一ノ矢さんならうまく解説してくれるだろう。

 当時のチーム事情が思考の前提にある。高校のフロントロー経験者が部内にとぼしく、他のポジションから転向させたり初心者を育成しなくてはならなかった。展開重視の戦法もあって総じて軽量だ。腕力比べでは全国制覇にとても届かない。そこで個に寄りかからず「8人が一枚の板となる」理論を構築した。

 フッカーとナンバー8を除いて全員、内側の足を外側の前に置く。これで隣の人間とくっつく体の線が長くなる。ある時期まではロックの腕をプロップのまたには通さず、尻の外を抱えるようにした。4、5番の背中がゆがまずにまっすぐにそろい、必然、密着も進む。

 加えてフロントローは「浅く組む」。梅井さんが、そこにいる部員の手を取って「実験」した。伸ばした腕のひじと手首のあいだを他者が片手で押さえる。簡単に持ち上がる。だが中指の先端をそうすると上がらない。

 なので早稲田(以下、W)はスクラムを組む首を深く差し込んではならなかった。肩をうまく使い浅い位置でカチッとロックする。重量FWが押しにかかっても、パワーの波は首の浅いところで一瞬、行き場をなくす。全体が板なので隙間に入ってこない。構造上、その力はWの右方向、つまりタイトヘッドのプロップへ流れる。梅井さんいわく「3番が2秒耐えれば」相手の左プロップへ「逆流」する。ほとんどリサイクルの世界だ。

 競技ルールの変更や体重のある経験者の入学など環境も移り、現在の組み方はそのままではありえぬが、なお「8人が一枚の板」の根本思想は通底する。

『相撲の力学』の付箋だらけのページをあらためて繰る。そこにこうあった。

「押したらまったく同じ力で押し返される」

 作用反作用の法則。ただし両者の重量が等しいと働くのであって、ゆえにウエイトに劣るチームには「浅く組む」という手間を求められた。

 相撲なら小さな力士が「足の力」を滑り止めとすることで、大きい者は後退する。明治後期より大正にかけて活躍、身長159センチ、体重90キロの関脇、玉椿の画像を分析、「全身を一本の杭棒のようにつなげ相手に対している」と見抜いた。

 巨漢力士の「前に出る力が玉椿の足の裏にかかり、玉椿の摩擦力を増やす」。小兵を押したつもりが土俵そのものを敵に回している。106ページの当該の節を読んだとき、梅井コーチの顔が浮かんだ。一本の杭棒=一枚の板。

 同書には鰻の職人を描いた浮世絵についての言及も見つかる。「ヌルヌルと動く鰻を腕の力で抑え込むのではなく、肩の力を抜いて肘を伸ばし、やはり腕を一本の棒のように使って捌いています」。なるほど。

 かの名横綱、双葉山の「寄り」の分解写真も興味深い。土俵際へ追い込むとあえて「万歳」をする。「うっちゃろうとしていた」八方山はそれで「お手上げ」となる。「今まで押し合っていた相手が突然いなくなるようなもの」。

 いわく「マワシを持って寄っている時」は「2人で一つの物体の動きになります」。ところが「マワシを離して万歳すると、別々の物体に」。

 双手を宙に放ったら双葉山の上体の力はむしろ沈み込んだ。伸び上がるかと思えば「反対に腰は下がり、重心は下がっていく」。これではもう投げられない。

「力を入れていると相手とつながり、一つの物体――物理学では『系』といいますが――『系』の中での力のやりとりになります」。それでは「トロッコの中でトロッコを押すようなもの」。突然の脱力は、すなわちトロッコを降りること。外からなら簡単に動かせる。

 60ページにお相撲さんの伝統の稽古である「テッポウ」の写真が添えられている。柱に向かって左右の突っ張りを繰り返すとき「片方の腕は脇を開けて腕(かいな)を返すのが鉄則です」。あ、見覚えのある形だ。

 2015年の屋久島。かつての日本代表のロック、72歳の小笠原博さんが、同じ仕草をした。孤高の指導者としても追い求めたモールの押し方を話しながら。

「握ったらあかんのや」。上体を低くしながらドライブする。ここで、たとえば前の仲間のジャージィやパンツをギュっとつかんではいけない。力をこめた手が重心移動のじゃまになる。

「そうやない。こうや」。東北の抑揚の残る関西弁でつぶやくと、この7年後に没、若き日にはモンスターとも鬼とも呼ばれた伝説の人物は、てのひらを小指が上にくるようにまっすぐ敵陣(真正面)へ向けた。「スクラムも一緒や」。元一ノ矢は「腕(かいな)を返すことで全身のつながりを作っています」とテッポウの秘訣を記している。オガサワラはタマツバキでフタバヤマだった。

 ほどなくシーズン開幕。大学のラグビー部はシンクタンクであれ。各校がセットピースやモールの工夫に励めば、肉体の激突は理論へ昇華する。その先に独自の創造というアートは誕生する。

 放送局勤務の余暇の多くを後進の指導に捧げた伯楽、京都出身の梅井良治さんはスクラムが仕上がってくると、ジャージィを脱がせて上半身裸でマシンと組ませた。握らず、つかまずなので影響はないはずだ。背番号なら1、3、4、5、6、7が一斉に外側の足を浮かす。ピタリ静止、ぐらつかなければ完成は近い。

 片膝をついて下からのぞくようにして「ええカタチになってきた」。名工の陶器をめでるみたいだった。

Exit mobile version