10代が終わりに近づく中、海老澤琥珀は爪痕を残した。
2022年度の高校日本代表から落選すると、‘23年より加入の明大ラグビー部へ他の当選組の同期より一足早く合流。春のうちに公式戦デビューを果たした。
創部100年目の優勝が期待された冬の全国大学選手権では、出場した3戦で計3トライを挙げた。
「(高校日本代表から)外れた時は少し悔しかったですけど、それを引きずらなかったのがよかったです。切り替えて、自分にできることを考えてやりました。フィットネス(走り込みと測定)の時、設定タイムのギリギリではなく自分にとって最大限のタイムで入るようにしました。そうして、自分のメンタルを鍛えた。周りの1年生はギリギリを狙っていましたけど、それではだめだと思っていたので」
兵庫の報徳学園高を出ていた。東京の世田谷区ラグビースクール、千歳中で一緒だった伊藤利江人と越境して進み、3年時は全国3冠に迫った。昨季の公式記録では「身長173センチ、体重78キロ」。決して大型ではないが、WTBとしてナイフのカウンターアタック、決定力を誇る。
向上心も魅力だ。
充実のルーキーイヤーを終えると、自分をトレーニングに混ぜてもらえる国内リーグワンのクラブを自ら探した。
さらに6月12日には、日本代表の合宿地で積極性を示した。
若手育成プロジェクトであるジャパンタレントスコッドの第2回の活動で、宮崎に呼ばれていた。ゲストスピーカーとして訪れた、元代表選手の田中史朗へ質問した。
「海外で、言葉の壁はどうやって乗り越えたんですか」
田中がこの国で初めてスーパーラグビー(国際リーグ)の選手になったのを踏まえ、後学のために聞いた。
回答は「酒」を用いたとのこと。未成年はこう着地させた。
「気持ちがあれば(大丈夫)という感じかと。そういう意味では、(話は)ためになりました」
その1日前には、20歳以下(U20)日本代表として正代表とゲームライクなセッションをおこなえた。
向こうの隊列にはリーチマイケルら常連組のほか、自身と同学年の矢崎由高がいた。
高校、U20と年代別の代表で主軸を張ってきた早大新2年のFBは、練習生から昇格する形でナショナルチーム入り。そのまま6、7月のツアーで組まれた全5試合に先発する(非テストマッチを含む)。
今年発足したエディー・ジョーンズヘッドコーチ体制の日本代表は、選手選考で年齢や所属先は問わないような。2027年のワールドカップオーストラリア大会へ、海老澤も熱視線を向ける。
「(JTSなどで)だいぶ貴重な体験をさせてもらって、本当にワールドカップを目指して頑張りたくなった。やっぱり、行けるとこまで行きたいです。エディーさんは結構、若手を使っている。由高を見ていると、『そこに自分も食い込んでいけたら』と影響を受けますね」
サイズを言い訳にせず、国際舞台で請われるタフさを身につけたい。
「多分、エディーさんは激しいプレーが好き。ハイボール(空中戦)、ブレイクダウン(接点)…。ひたむきさを出していけば、チャンスはあるかなと」
洗礼を浴びたのは7月。U20トロフィーへこの国のジャージィを着て参加も、開催国であるスコットランドの同世代たちに10-46で敗れた。来季の上位大会昇格を逃した。
「スコットランドには技術、フィジカル、スピードの全てで上回られた気がして…。前半はFWが(ぶつかり合いで)頑張ってくれたんですが、僕たちBKがミス、ターンオーバーを多くしてしまうなどしてそれに応えられなかった。(この大会で)日本は、ブレイクダウンで寄りの速さと強度が足りていなかったです。ただブレイクダウンに速く寄って、綺麗に球を出して、速いテンポで攻められたら、大きな相手にも勝てる」
悔しさも肥やしにして再出発する。これから見据えるのは、9月に本格化する大学の新シーズンだ。
各地の俊英が集まる明大では「去年の貯金とかは、もう(関係)ない」。レギュラー定着へは、夏場のアピールが必須と捉える。地道に積み重ねる。
八幡山の合宿所では、ビュッフェ形式の朝食で魚を多めに盛る。4月発足のJTSでは血液検査を受けていて、「魚から摂れる栄養の数値が足りない」と指摘されていたからだ。冬から夏にかけ体重の変化こそないものの、コンディションはよいという。
「去年と変わらず常にアタックに参加し続け、メイジを勢いづける選手になりたいです」
早大の矢崎を直接対決で止めたら、さぞかし爽快だろうとわくわくする。この人のコミュニケーション能力とランニングスキルは尊敬の対象だが、勝負の場ではその敬意を圧力に変えたい。
好敵手がひしめくステージで力を発揮し、理想の未来を実現する。