4度の花園優勝を誇る伏見工が、校名変更により京都工学院となったのは2016年。山を上った場所にある現在の校舎は、かつて立命館中学・高校が移転前まで利用していたものだ。千本鳥居でお馴染みの観光スポット、伏見稲荷が森を越えたすぐ横にある。
市の重点強化指定クラブに選ばれているラグビー部への支援は手厚い。移転時に人工芝は最新鋭のものに張り替えられ、プールのあった場所にはウエート場併設の校舎が建設された。器具の種類、台数は充実している。
「公立高校ながらこれだけバックアップしていただけるのは非常にありがたいです。伏見から築き上げてきたわれわれに対する期待だと思っていますし、責任も感じています」
大島淳史先生は監督に就任して6年目を迎えている。2000年度の第80回大会の花園優勝キャプテンだ(FL)。日体大卒業後に京都市内の修学院中、陶化中(現・凌風学園)で計9年間中を過ごし、31歳で母校に戻ってきた。5年間コーチとして活動し、2018年秋から現職に就いている。
赴任してからというもの、大島監督にかかる負担は大きかった。校名が変更となったほぼ同時期に、’98年からチームを支えてきた高崎利明・元監督が退任。奇しくも、ライバルの京都成章がクラブとしての成熟を見せていたタイミングとも重なる。部員数も落ち込み、勝てない日々が続いた。
赤と黒の伝統のジャージーが再び歓喜の雄叫びを上げたのは5月26日。高校総体のリーグ戦最終節で、京都成章を59-8で破った。実に8年ぶりの勝利だった。
大島監督は苦悩の日々を振り返り、「厳しい現状であっても情熱を絶やさなかったことが今回の結果繋がった。その積み重ねが少しずつ差を縮め、春の大会ではありますが今回逆転することができた」と誇った。
今季の部員数は100人を超える。3年27人、2年40人、1年35人の大所帯だ。例年になくサイズにも恵まれている。LO松見眞一郎は184センチ、NO8廣瀬陽太は186センチ、2年でアウトサイドCTBの林宙も180センチを越えている。
しかし、新チームははじめから強かったわけではなかった。昨季の花園予選決勝の先発メンバーで、今季も残っているのは2年のSO杉山裕太朗のみだ。U17日本代表を経験したFB広川陽翔主将は正直な思いを明かす。
「1年生の時は自分たちが最上級生になった時に勝てるとは思いませんでした。先輩たちに比べて圧倒的に下手くそだった。でも、みんな負けず嫌いで、ラグビーが大好きで。いつもラグビーの話ばかりしています(笑)。今回の結果、これまでの努力の現れだと思います」
転機はあった。2月の近畿大会で、同じ山に入った京都成章と戦えたのだ。敗れはしたが、22-27と競った。
「振り返っても負ける試合でなかったし、次やったら…という自信もついた。京都成章を過剰に意識し過ぎてしまったと反省しました」(大島監督)
練習でやってきたことしか、試合には出ない。それからは、自分たちにベクトルを向けた。
「体づくり、セットプレー、基本的なスキルなど、自分たちの強みを磨いていく取り組みを一生懸命やってきました」
あれから3か月後の再戦までに、「すべてが吹っ切れてやるべきことをやるだけと思えた」とマインドの変化を話す広川主将は、ディフェンスでの向上があったとみる。
「近畿大会ではディフェンスがまだまだで、敗因は前半10分までに3本取られてしまったことでした。この春は今まで以上にディフェンスの量を増やしましたし、1回1回の練習でフォーカスすることをリーダーが伝えて、チーム全体で成長できました」
9トライを挙げる「想定外」のスコアが表すように、思わぬ副産物ももたらした。
「全体としてディフェンスが上手くなってきたので、その相手をしていたアタック側もいかに抜くかを自然と考えるようになっていた。その循環だと思います」
話を聞いた6月上旬。広川主将はすでに喜びを胸の中にしまっていた。春は春。「自分たちが安心してしまったら絶対に冬負ける」とわかっているからだ。
「県総体では成章のメンバーにケガ人もいました。成章以上に練習して、花園に行きたいです。もう一度ディフェンスから見直していきます」
決戦の舞台は11月10日。校名変更後初となる花園出場を目指す。
※ラグビーマガジン8月号(6月25日発売)の「ハイスクール・シーン」掲載情報を再掲