ラグビーリパブリック

南国を飛び出して。帝京大・山本晴大の楕円球の旅。

2024.07.06

「対抗戦選抜」の一員として出場した山本晴大(赤)(撮影:福島宏治)

 山本晴大は、沖縄の宮古島で生まれ育った。

 東京都出身の父の大司さんが、ダイビングをするため島に訪れたのがきっかけだった。茨城県出身で後に母となる女性と知り合い、まもなく結婚した。移住し、いまはダイビングショップを営む。

 すべて男子の3人兄弟で、大司さんが楽しんでいたラグビーをするのは晴大だけだ。

 近所に小中学生向けのチームがなかったため、少年期はサッカー、バスケット、ハンドボール、柔道、水泳に親しみながら、宮古高のラグビー部へ混ざった。

 校庭には、石垣航平というヒーローがいた。やがて帝京大、コカ・コーラレッドスパークス、宗像サニックスブルースを経て日本製鋼釜石シーウェイブスに所属する大型ランナーは、山本にとって憧れの的だったようだ。

「ボールを持って、走って、笑っていた。きっと(ラグビーは)楽しいスポーツなんだなと思いました」

 高校進学を機に島を離れた。「やるんだったら強いところでチャレンジを」と、県外の名門校をリサーチした。ちょうど沖縄遠征に来ていた、奈良の御所実高と出会った。 

「結構、勇気がいりました。でもノリと勢いです。あまり何も考えずに」

 国内きっての有名校で教わったのは「利他の心」だ。練習の準備や後片付けの際、自分の仕事が済んだらまだ終わっていない仲間を助けるようになった。特に上級生になってからは、新たな環境に不慣れな下級生に「(年長者ならではの)余裕を配れるように」と教えられた。

 最終学年時は、主将を任された。

「人間性も学べ、自分が求めていたラグビーにも力を入れられた。ゼロからスタートした中、先生にも優しく教えていただきました」

 卒業後にどこまで本気でプレーするかで迷うこともあったが、縁あって帝京大の門を叩いた。入学前から続く大学選手権連覇の記録は、昨季までで3に伸びた。通算12回も頂点に立ったビッグクラブの強さは、個々の主体性にあると山本は見る。

 単位を取ってあまり授業に出る必要がなくなった4年生たちは、後輩たちがキャンパスへ行った隙に寮やクラブハウスを掃除していた。山本は3年生となった今年、その流れに気づいた。

「御所実高の時と同じで、上級生が中心になっている。どんな時でも自分たちで考えられることが、グラウンド上の動きや私生活に繋がっています」

 6月29日には「関東ラグビーフットボール協会 100周年記念試合」の7人制のゲームに出た。今回、加わった対抗戦選抜に呼ばれたのは本番2日前の「夜11時くらい」のことだった。

 リーグ戦選抜と24―24で引き分け、「当日できたチームとあって、繋がる部分が甘かった。もっとコミュニケーションを取っていたら、もっと強いチームになっていたのかな」とリーダー経験者らしく答えた。

 社会に出るのは再来年だ。

「自分の身体が尽きるまで、ラグビーに集中したいです」

 帝京大では出場機会の見込めるWTBで存在感をアピールするが、将来的には本来の働き場であるSHで勝負したい。

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