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【ラグリパWest】ラグビーのハイキャリアを生かす。宮田拓哉[ソニー生命/ライフプランナー]

2024.06.17

ソニー生命のライフプランナーとして保険業界で生きる宮田拓哉さん。東海大仰星、東海大、クボタ(現S東京ベイ)ではバックスリーとして活躍した。右は宮田さんの上司の橋本俊治さん。橋本さんも京産大、近鉄(現・花園L)などでSHとしてプレーした

 宮田拓哉、愛称「タク」は名のあるラグビー選手だった。

 東海大仰星では高校日本一に輝き、東海大では大学選手権の決勝を戦った。クボタ(現S東京ベイ)でもプレーを続けた。

 タクの生命線はスピードと決定力。ポジションはWTBやFBを任された。
「周囲に対する目配り、気配りなんかはポジション柄、できている感じはしています」
 後方から全体を見る。相手の穴を見つけ、突く。味方の穴をふさぐ。コミュニケーションもうまくないといけない。

 そういうアドバンテージを生かし、タクは今、ソニー生命で働いている。故郷の大阪でライフプランナーをしている。

「毎日、楽しいです。お客さまと直接お話ができます。教育費であったり、年金であったりを含めて、その方に合った保険商品を提案させていただいています」

 タクは来月7月で36歳になる。しゅっとしたしょうゆ顔。現役時代、174センチ、84キロだった体はしぼられる。青系のシャツに茶系のスーツが映える。同名の木村拓哉とは言わないまでも、いい線いっている。

 ラグビーで名を成したのは東海大仰星の3年だった。冬の全国大会で優勝する。86回大会(2006年度)の決勝は東福岡に19-5。同校にとって7年ぶり2回目の頂点だった。FBだったタクは高校日本代表にも選ばれる。

 当時の監督は土井崇司だった。
「彼は5段階評価でオール4あり、スポーツ推薦ではなく、一般入試で入ってきました」
 学ぶ態度は年少のころからある。土井は今、東海大相模の中高校長をしている。

 現在の東海大仰星の監督は湯浅大智。中高大の先輩にあたる。タクがラグビーを始めたのはその大阪の中学、中野だった。
「隣の芝生は青く見えました」
 誘われたこともあって中1の夏、サッカーから転向した。

 タクの高校の同期2人はのちにフルの日本代表に入る。山中亮平と木津武士である。国際試合出場を示すキャップ数は山中が30、木津は44である。山中は高校時代のSOからFB、木津はLOからHOに移った。

 山中は昨年、ワールドカップに追加招集された。現在の所属は神戸Sだ。
「あの姿を見ると自分も頑張ろうと思います」
 高校同期の活躍は力を与えてもらえる。

 その山中や木津とともに戦った東福岡との決勝戦がタクの強い思い出ではない。
「ニュージーランドの高校に負けました。それが悔しい。唯一の負けですから」
 国際大会であるサニックスワールドユースの4強戦で優勝するクライストチャーチ・ボーイズ・ハイスクールに0-14で敗れた。

 ここにタクの真骨頂がある。うまくいかなかったことを忘れない。そこには反省がつく。反省は人生をよき方向に導く。

 大学は東海に上がる。3年時には大学選手権決勝に進出した。46回大会(2009年度)だった。1963年(昭和48)創部のチームにとっては初めてのことだった。

 対戦相手は帝京。タクはWTBで先発した。決勝は13-14と1点差で敗れた。
「帝京はFWが強かった。ただ、勝っていれば歴史が変わった、といまだに言われます」
 帝京はここから連覇を大会最多の9に伸ばした。東海の全国制覇はまだない。

 勝てる時に勝っておかないといけない。仕事も同じ。取れる時に取っておかないといけない。その鉄則をこの帝京戦から学ぶ。

 その東海の同期には、今も日本代表を支えるリーチ マイケルがいる。バックローとしてのキャップは84に積み上げている。

 タクは2011年4月、新卒の社員選手としてクボタに加わる。現役は6シーズンだった。最高成績はトップリーグ(リーグワンの前身)の9位だった。

 オレンジのチームではヘッドコーチだったトータイ・ケフに感銘を受ける。在任は2012年度から4シーズン。ケフは現役時代、NO8でオーストラリア代表のキャップは60を得た。選手としてもクボタのために戦った。

「ケフは常に家族のように接してくれました。仲間がラフプレーを受けたら、助けにいくのが当たり前だろ、と教えられました」

 今の職場にも近いものを感じている。
「入った時から橋本さんをはじめみなさん優しく教えてくれています」
 上司の橋本俊治もラグビーマンだった。京産大、近鉄(現・花園L)と進み、SHとして活躍した。

 タクは現役引退後、大阪に異動となり、社内の災害対応などを担当した。そして、昨年3月に退社。翌月、ソニー生命に入社した。
「さらに自分が成長できると思いました」
 その成長はこれまで以上に人にもまれる中にある。現在、ライフプランナーとして1年と少しが過ぎた。

 前のチームや職場とのよい関係は続いている。前川泰慶(ひろのり)は話す。
「クラブハウスに顔を出して、プロ選手のセカンドキャリアを心配してくれています」
 前川はS東京ベイの首脳のひとり、チームディレクターをつとめている。

 ラグビーとの縁は家族にも伸びる。小3の息子はラグビースクールに入っている。
「3歳で連れて行ったけど、その時は、はまりませんでした。小2になった時に急にやりたい、と言ってくれた。うれしいです」
 弟の一馬は2歳下。同じ高大を出て、近鉄でプレーした。今は社業に専念している。

 楕円球を軸にタクは歩んでゆく。
「ラグビーをやってきましたけど、恩返しができていません。今の仕事は応援させてもらいつつ、恩返しができると考えています」
 自分史を振り返れば、前途洋々である。

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