もっとも秩父宮ラグビー場に立った男といっても過言ではないかもしれない。
日本代表最多キャッパーで、98回テストマッチに出場した大野均さんだ。
19季在籍した東芝ブレイブルーパスでの公式戦出場数でも「約240」という驚異的な数字を誇る。
「なので、間違いなく100試合以上は秩父宮で試合をしているんですよね」
喜びも、悔しさも、この秩父宮と共有してきた。数多くのエピソードが残る。
「風呂場が共用のときからずっとやってきましたから、思い出深い場所です」
初めて秩父宮の芝を踏んだのは、東芝に加入して2年目のデビュー戦だった。相手は前年に無敗で王者となったサントリー。いきなりの先発起用だった。
「自分は大学から始めた本当に無名の選手でしたし、全部ぶつけるだけだと思っていました。前半は結構いけて、25点差をつけて折り返して。今日は勝てるかなと思ったところで、後半に逆転された。当時のサントリーの監督は土田(雅人・日本協会会長)さんで、ハーフタイムにだいぶ喝を入れたそうです(笑)」
日本代表の初キャップも秩父宮(2004年)。引き分けた韓国戦だった。
その年のヨーロッパ遠征で0-98で敗れたウエールズを相手に、2013年に初めて勝ったのも秩父宮だ。
「試合終了間際にほぼ勝ちが確定したときは自然と涙が出ました。グラウンドが見えなかったのをよく覚えています。いろんな思い出が本当にいっぱいあります」
大野さんが感じてきた秩父宮の魅力は、観客との距離が近いこと。特にバックスタンドは選手とほぼ同じ高さで観戦可能だ。
声援がダイレクトに届くから、「日本代表でキャップ数を重ねてきたときにはリザーブで出場すると応援の声をたくさんいただいて、背中を押してもらえた」と感謝する。
「応援の声も聞こえますし、お客さんの顔も見えます。そういう雰囲気の方が選手のモチベーションも上がるし、やりがいを感じていました。FWだとラインアウトでライン際まで行くので、パッとスタンドを見たときに、知り合いを見つけることもありましたね」
先述の府中ダービーやトップリーグのプレーオフなど、ビッグゲームになればなるほど一つひとつのプレーに大歓声が上がる。「そういう歓声の中でプレーしていると、いつまでも走っていられる、全然疲れなかった」という。
思い出されるのは2006年度のトップリーグ決勝だ。対するサントリーが試合終了間際までリードを奪っていたが、ロスタイムのトライで1点差まで迫り、コンバージョンで逆転優勝を果たした。
「地響きのような歓声でした」
秩父宮での試合後は決まって酒場に繰り出した。「まっすぐ府中に帰ることは二、三回ぐらいしかなかった」と表情を崩す。
「応援してくれた人たちが集まってるところに行って一緒に飲んだりとか、都心にあるからこそできる良い時間でした」
昨年9月に退社するまではチームの事業スタッフのひとりでもあったから(現在も業務委託契約でアンバサダーを務める)、ファン目線でチームやラグビーを見る機会も増えた。
「冬場は寒いという声はよく聞いていました。それが解消されるだけでもファンの方は来やすくなると思う」と、秩父宮が全天候型のスタジアムに生まれ変わることを前向きに捉える。
雨の試合で思い出すのは、2010年10月30日のサモア戦だ。台風の影響で、雨風の強い難しいコンディションだった。
「想像以上に多くのファンの方々が、寒くて雨も降っていたのに足を運んでくれました。それなのに、最後に追いつけず負けてしまって。とても申し訳ない気持ちになりました。今となっては良い思い出なのですが、見に来てくれるファンの方が存分に楽しめる環境であってほしいと思っています。大型ビジョンも設置されるようですし、リーグワンが掲げる"非日常"を体験しやすくなるのではないでしょうか」
興行するクラブの視点で見れば、悪天候で客足が遠のくのを防ぐことができるのも「大きなメリット」。
選手目線で考えても、「天候に左右されずに同じ環境で試合ができるのは大きい」という。
人工芝になり稼働率が上がるのであれば、未来を担う子どもたちにもグラウンドを開放する機会が増えることを願う。「選手が実際に使っているグラウンドに立てるのはとても良い経験」と話す。
「ラグビー場の横に緑地の広場ができることを個人的にはすごく楽しみにしています。日本では、この日に試合があるから事前に行くと決めて見に来る人がほとんど。広場ができることで、そこに遊びに来た人が『秩父宮で試合があるみたいだから、見に行ってみよう』という流れができるのかなと。これまでラグビーにあまり関心のなかった人たちを呼び込めるかもしれません。冬でも寒くないし、映画館に行く感覚で行けるかなと」
ラグビーをより身近に感じてもらえる「聖地」になることを願うばかりだ。