ラグビーリパブリック

【ラグリパWest】成長に資する2年目。ナナイロプリズム福岡

2024.06.05

女子7人制ラグビーの国内最高峰、「太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2024」の最終第4戦、大阪・花園大会を戦ったナナイロプリズム福岡。年間最終順位は6位と振るわなかったが、修正ポイントの見つかったシリーズだった。後列中央が主将の小笹知美。後列左端が村上秀孝CEO

 ナナイロプリズム福岡の成長のために必要だった。2年目の国内シリーズである。

 愛称「ナナイロ」は年間総合順位を6位とした。昨年の4位から順位を2つ下げた。女子7人制ラグビーの「太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2024」である。

 4戦で構成されるシリーズは、勝ち点の合計で年間総合優勝を決める。ナナイロの勝ち点は44。優勝した、ながとブルーエンジェルス(略称:ながと)は72だった。

 ナナイロは最終第4戦の大阪・花園大会で4強戦と3位決定戦で連敗する。ながとには7-35、年間総合2位の三重パールズには5-36。開催日は5月25、26日だった。

 グラウンド内でナナイロを率いたのは主将の小笹知美(こざさ・ともみ)だった。
「彼女が一番動いていますね」
 濵村裕之は話す。ナナイロの分析担当だ。映像を通しても、FW小笹の攻守に体をぶつけ、ボールに絡むその凄みがわかる。

 濵村は2011年のワールドカップで男子15人制日本代表の分析を担当した。その時のチームドクターは村上秀孝。5年前、ナナイロを福岡・久留米で立ち上げた中心であり、CEO(最高経営責任者)でもある。

 ナナイロのヘッドコーチ(監督)は桑水流裕策(くわずる・ゆうさく)。2016年のリオ五輪で7人制日本代表の主将だった。チームの中心になり最高4位に入賞させる。

 その世界を知る3人が集まっても、勝たすことは難しい。敗北の理由を小笹は172センチの長身から汗をしたたらせて語った。

「大きいのは知春さんの存在です。経験値が違います。うまくいっていない時、どうにかする力が知春さんにはあります」

 中村知春。7人制と15人制の両方の日本代表経験がある。今年、楕円球歴は15年目に入った。ナナイロが創設された時、選手間の軸になったのはこの中村だった。

 昨年、シリーズ4戦すべてを戦えるコア・チーム昇格1年目ながら、年間総合4位に食い込んだ。この中村の存在が大きい。
「去年は知春さんも含め全員が出られました」
 小笹は振り返る。

 中村は今年のシリーズ、4戦すべてに不参加だった。7人制日本代表の遠征と重なったためである。今年は7月下旬にパリ五輪が開かれる。そのため、イレギュラーなシリーズになった。最終戦の花園大会も昨年より1か月近く前倒しされることになった。

 この不利はなにもナナイロに限ったことではない。ながとは4人が不在だった。ただ、ナナイロにすればチームの柱石だった中村の離脱は大きい。また、15人制の香港遠征と重なり、弘津悠(はるか)と香川メレ優愛ハヴィリもこの花園大会は不参加だった。

 小笹は戦術的な部分も言及する。
「外で獲り切れる外国人がいなくなりました」
 昨年、フィニッシャーだったタイ出身のジラワン・チュトラクンは、ながとに移籍した。チーム唯一の外国人選手だった。

 このシリーズでは、同時に3人の外国籍選手がグラウンドに立つことが認められている。ナナイロは新しい外国人選手の獲得を検討したこともあった。CEOの村上は日本人のみで戦った理由を説明する。

「このメンバーで勝つやり方を考える、ということですね。それがひいては日本代表の強化につながると思っています」

 金銭でカタがつく、一時的な強化は考えない。それはチーム永続の点から見ればためにはならない。57歳の村上は整形外科医であり、福岡・田川の村上外科病院の院長をつとめている。その視座は高い。

 ヘッドコーチの桑水流は、そのチーム方針に添い、一発でトライを獲るのではなく、フェイズを重ねてトライをとる方向にシフトした。能力的に劣る分、全員ラグビーを掲げる。それは中村へのチーム依存からの脱却にもつながる。ただ、トライゲッターの移籍から半年ほどで結果を残すのは難しい。

「ディフェンスにひびを入れることはできましたが、それを広げるところまではいきませんでした。アタックの精度を上げ、我慢して獲りきらないといけません」

 その点において、チームの指令塔でもある永田花菜(はな)の最終4戦目での復帰は大きい。SOで7人制日本代表でもある永田は左ヒザのじん帯断裂が癒えた。

 27-0とした8強戦の追手門学院大戦、前半2分、ディフェンスを引きつけて、右足でライン裏にパントを上げる。このキックを起点に最後は小笹が先制トライを挙げた。

 永田と同じ日本代表を30年ほど前に経験した父兄もナナイロにはいる。最終第4戦の花園ラグビー場には弘津の父・英司が娘の不在にも関わらず、応援に駆けつけた。
「娘がお世話になっているんでね」
 感謝を形に変えたこの父はタテに強いHOとして、日本代表キャップひとつを得た。

 父は同志社大から神戸製鋼(現・神戸S)に進み、日本選手権と全国社会人大会(リーグワンの前身)の7連覇を支えた。1995年のワールドカップにも選手として加わった。

 娘のことを問われ、目じりを下げる。
「中村さんや小笹さんや白子さんらに可愛がってもらって、楽しそうにやってるわ」
 白子とは白子未祐。弘津の5歳上で、7人制の日本代表にも選ばれた。勤務先は同じ九州風雲堂販売。各種の医療用機器を取り扱っている。

 才能は集まり、チームの雰囲気はいい。このシリーズを振り返り、精度とボール保持に磨きをかける。それができれば、負けは負けでなくなる。医療系が母体となっているチームだけに、「良薬は苦し」になればいい。

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