俺たち、目黒だろ。
ようやくそう誇れるまでになった。
目黒学院は高校ラグビー界きっての古豪だ。創部は1959年。花園での優勝回数は歴代5位の5回を数える。梅木恒明監督(当時)のもと、1969年からの10年間で成した。準優勝も5度経験する。
そんな高校ラグビー史に残る名門の存続が、危ぶまれる時期があった。竹内圭介監督が、コーチとして同校に赴任したのは2003年だ。
「その翌年は新人戦を18人で戦いました。そのまま減り続けて、廃部になってもおかしくなかったです」
少人数ながら都大会でベスト4に入るなどしていたから、あまりその危機的状況が世に出ることはなかった。そんな苦しい時間を経て、一歩一歩階段を上り続けたら、ついにここまで辿り着いた。
3月末におこなわれた全国高校選抜大会で、8強入りを果たしたのだ。全国ベスト8は1991年度の花園以来。何より勝ち進んだ道のりが頼もしかった。
初戦は2季前に花園優勝、昨季は準優勝の東福岡が相手だった。フィジカルで互角に戦い、チームの軸であるディフェンスで相手のミスを誘う。後半15分までに10点差をつけられたが、残り5分で追いつき、ロスタイムに逆転勝ちを収めた。
「リードを広げられた時に、彼らは諦めなかった。嬉しかったですね」
2回戦では天理との古豪対決。ここでも堅陣を敷いて、7-3のロースコアをものにした。
「名前負けしないように気持ちを作って臨めていました。彼らの中で、相手がヒガシだとか、天理だではなく、『俺たち、目黒だろ』というマインドになっていました」
▼初心者軍団から。
竹内監督が赴任した20年前は、高校からラグビーを始める部員が8割を占めた。部員をなんとか確保するため、2007年からともに働く倉上俊コーチとはよく他競技の試合会場に足を運んだものだ。
「陸上の短距離とか砲丸投げ、相撲、柔道、バスケにも行きましたね。でも上手い子や実績のある子は見ません。彼らはその競技を大概続けますから。僕らが見ていたのはベンチにいるデカい子とか元気なやつ。ひたすら電話して、100件に1件返事があるかどうかでした」
当時はあらぬ偏見で、ラグビー界からの風当たりも強かった。
花園の覇権を争っていた梅木監督は、猛練習を課すことで知られた。朝練は早朝5時から、昼休みにもグラウンドに出て、放課後には明大の八幡山グラウンドで年間200試合戦う――。いまの世の中では「スパルタ」と形容されてしまう伝説的なエピソードが、過去の話だと思われていなかったのだ。
「今でも朝練を5時からやっていると思われていました」
初心者軍団を叩き上げ、久しぶりに都大会の決勝に進んだのが2010年度。その3年後には、22年ぶりに花園出場まで導く。トンガからの留学生第1号であるテビタ・タタフ(現ボルドー)とアタアタ・モエアキオラ(現神戸S)の2年生コンビが躍動した。
ただこの時も、それまでの復活の足跡より、留学生だけがフューチャーされた。
「目黒がすごくしんどかった時、誰からも相手にされなかった時に来てくれた子たちがいたから、いまのチームまで繋がっている。少しずつ、少しずつ切り開いてきました」
過去を大切にしながら、竹内監督は変化を恐れない。定年退職した幡鎌孝彦・前監督に代わり監督となった2017年度からは、現場の指導を倉上コーチと小倉純一コーチに一任した。
「2人のコーチなくして、いまの目黒はありません」
2020年からは4年連続花園出場中だが、2021年からは選手主体の運営に舵を切っていた。複数人いるリーダーがコーチ陣とミーティングを重ねながらメニューを決める。
「トップダウンには限界あります。それまではラグビーを知らない子たちの方が多かったので、それでよかったとは思いますが、今ではほとんどが経験者。自分たちで考えた方が、これだけやってきたんだと自信になると思うし、何より社会人になった時に指示待ちの人間にはなってほしくなかった」
今季からはトレーニング、アジリティ、フィットネス、フード(食事)の頭文字を取った新たな役職「TAFF」を作った。
「4つのことも自分たちで考えて、”タフ”になろうと。われながらよくひらめきました(笑)。例えば宿舎のビュフェで唐揚げを食べないとか、ビタミンを摂るとかですね」
昨年6月からは、沼部の多摩川河川敷から練習場所も変えた。いまは高井戸公園や代々木公園の人工芝グラウンドを予約、抽選で当たった日に利用している。
今年9月には、中野島(川崎)に新築3階建ての寮ができる。地方の中学生への呼び水になる。
「少しずつ、少しずつです」
▼レギュラーは2年生9人。
今季も一歩ずつ歩みを進めている。新チーム始動時は、「今年の代が強いかどうか分からなかった」という。
元日の花園3回戦に敗れた翌日、卒業する3年生の胸を借り、新チームが練習試合をおこなった。
「その時は何もできなくて。翌週にも久我山と練習試合をしましたが、7本いかれた」
それが1か月後の都の新人大会決勝では12-19と迫る。関東新人、全国選抜大会を経て、チームはさらに成長を加速させる。
「試合の中で成長したし、大会が続くことでさらに伸びました」
今季のチームは2年生が先発に9人を占める若いチームだ。3年生はそもそも部員が16人と少ない。コロナ禍の影響で、勧誘活動がままならなかった。少人数だからこそ、危機感があり、団結力も強いと石掛諒眞主将はいう。
「みんながちゃんとやってくれます。主将としてすごくやりやすい」
ここまでの結果に慢心はしない。選抜ベスト8でもその年に花園に出られなかったチームを間近で見てきたからだ。昨季の久我山は選抜大会で8強入りも、目黒学院に敗れ、花園出場を逃した。
「チャレンジャーという気持ちで頑張りたいです」
それは、エンジのジャージーが、再び全国の頂点に返り咲くまで続く。
俺たち、目黒だろ。
文/明石尚之
※ラグビーマガジン6月号(4月25日発売)掲載の「高校物語」を再掲